ニッケイ新聞 2008年11月13日付け
同記事を見たアラサツーバから親戚が訪れ、身元が判明。石蔵さんが代表となり、八百六十四クルゼイロで墓地を購入、埋葬した。
新聞記事には、十月二十八日にリべイラ河に身を投げたーとあるが、佐々井さんは二十九日と記憶しており、所有する墓地登録証明書にも二十九日に亡くなったと記載されている。
翌五〇年、今西氏の慰霊のため、佐々井さんと義理の息子ワタルさんが板に蝋燭を乗せ、川に流している。
「お父さんは足がなかかったから(右足が義足だったという)、川岸まで降りられなかった。だから、僕と兄が二人で流したんですよ」
家族だけで始めた灯篭流しは数年続いた。リベイラ河沿岸の中心地で日本人も多かったレジストロで灯篭流しが行われることになったのは、五五年。
前年に渡伯した日蓮宗身延山南米別院の石本恵明師がレジストロ市在住の日蓮宗信者、故・春日文蔵さんから、水難犠牲者について聞いたのがきっかけとなった。流された七基の灯篭の一つは今西氏のものだった。
同年、石本師と春日さんの働きかけで市役所から無償土地譲渡を受け、「水難犠牲者追悼碑」を建立。八四年に恵明師が亡くなった後は、妻の妙豊師が法要を執り行っている。
石蔵さんは八一年に死去、その後、佐々井さんは、今西氏の遺品である経本、写真、鈴などを石本師に渡している。
八五年には、アラサツーバから今西氏の親族が訪れ、遺骨を引取っていったという。
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レジストロ文協の要請を受け、国立遺跡美術遺産院(IPHAN=Instituto do Patrimonio Historico e Artistico Nacional)は今年六月から調査を始め、十月に連邦政府文化財の申請を行った。
関連書類を作成、今年の灯篭流しに訪れた同院のシモーネ・トジさんは、「十一月の審査には間に合わず、百周年の今年中の登録は難しいが、来年早々にも審査が行われ、登録されるのではないか」と話す。
無形文化である祭りの登録は、現在パラー州ベレン市で毎年十月に開催されるナザレー祭のみ。登録されれば、日系社会関係では、モジ・ダス・クルーゼス市にある「カザロン・ド・シャー」に次ぐものとなる。
五〇年にセッテ・バーラスで蝋燭を乗せた板が流されてから、五十八年目の今年、「レジストロ灯篭流し」には二万二千人が訪れ、二千基の灯篭が流された。
レジストロ文協は今年、ポルトガル語で歴史を記載したパンフレットを作成、配布した。過去を忘れることなく、「灯篭流し」をリベイラ河沿岸地帯最大のイベントとして、発展させていく考えからだ。
(おわり、堀江剛史記者)
写真=水難犠牲者の霊追悼碑は五五年に建立された。今月2日にあった慰霊祭