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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2008年11月26日付け

 日本からの報道では、世界金融危機がデカセギを直撃して工場で失業、求職窓口に並ぶ姿が頻繁に紹介される。まっさきに職を失う日系人の悲鳴を読みながら、日本人在職者は「まだ自分の番じゃない」と安堵のため息をついていることだろう▼今回分かったのは、外国人という雇用の調整弁は、日本の経済システムの一貫として〃正常〃に機能しているという冷酷な現実だ。不況時の調整弁としての彼らの存在は、不文律ながら事実上制度化されたかのようだ。彼らがいなければ、日本人自身がその憂き目に遭ったはずだ。そうなれば労働組合などが黙っていなかっただろう▼さらに気になったのは、日本のメディアは、まっさきに首を切られるのが外国人であることに疑問を呈しておらず、当然のこととして報じている点だ。つまり、人間に序列をつけて下層を安全弁にする発想が幅広く公に認知されている。合法滞在であるにも関わらず、デカセギを守る存在はないに等しい▼日本メディアの大半は、デカセギが大量帰伯するかのような論調で報じている。でも、九二年のバブル崩壊後、あれだけの不況においてすらデカセギは増えた。なぜかといえば、不況になるほど多分野での調整弁が必要になるというパラドックス(逆説)が考えられる▼職を失うデカセギが増えるのは事実であり、その悪条件をどこまで耐え忍ぶことができるかが、調整弁としての〃能力の高さ〃の証明となる▼しかし、帰伯したところで特殊技能も高学歴もない者に良い仕事はない。そのことは、彼ら自身が一番良く分かっている。おそらく帰伯は増えても「大量」といえるかどうか。(深)