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受賞5氏、農業の夢なお大きく=山本喜誉司賞 栄誉の授賞式=家族、友人らと喜び分かち合う=谷口名誉委員長に感謝状

ニッケイ新聞 2008年12月2日付け

 農業者に対する最高の栄誉といわれる山本喜誉司賞(高橋一水選考委員長)の第三十八回授賞式典が、十一月二十八日午後七時からリベルダーデ区の文協ビル貴賓室で盛大に執り行われた。日本移民の功績が高く評価されているブラジルの農業。その日系人の誇る分野で社会的に貢献をしてきた五人の受賞に、家族や知人、関係者など約二百人が駆けつけた。また、同賞第一回目から審査員をつとめてきた谷口出穂名誉委員長に感謝状が贈られた。
 今年度の受賞者は、柿原孝氏(79、静岡)、山田勇次氏(61、北海道)、鈴木邦男氏(80、福島)、藤倉恵三氏(76、山形)、益田照夫氏(66、愛媛)の五氏。
 式典の前に開かれた記者会見で六氏は喜びを表し、これまでの経歴や苦労のエピソードなどを紹介。天皇陛下にピエダーデの柿を献上し絶賛されたという逸話を持つ益田氏は、「一人でやれるもんじゃない。地域の人たちと一緒にやってきたからここまで来れた。その地域の代表として賞をもらう気持ち」と感謝を述べた。
 最年少の受賞となった山田氏は、十三歳で家族と来伯。「ブラジルで大農場しよう!」と父親にせがんだほど地平線の見える広大な土地で農業をするのが夢だったという。
 夢を持ちつづけて一九八四年、三十七歳でミナスジェライス州ジャナウバ市に移動。それまで難しいとされていた乾燥地帯でバナナ・プラタの栽培に成功し、現在はブラジル最大規模の出荷量を誇るBrasnica社を経営している。
 山田氏は、「ほとんどの野菜や果物を作り始めたのは日本人でも、ブラジル人のスケールの大きさに負けてしまう。僕は負けられない」と熱く話し、「今後、全ブラジルに販売部を持ちたい」と夢を話していた。
 シイタケの栽培技術を確立し、手頃に家庭で味わえるように貢献したのは鈴木氏。「微生物と共に生きてきた」と人生を振り返り、「親父も同じ分野の仕事をしていた。きのこのDNAが入ってるんだなと感じている」と受賞の喜びをかみ締めるように話していた。
 藤倉氏は、八〇年代に難しいとされていた鶉の雌雄鑑別方法を、メンデルの法則を応用して確立。「鳥インフルエンザウイルスの予防ワクチン開発が夢」と話し、現在も研究を惜しまない。
 「商売として一生懸命やってきたのが評価され、この上ない光栄です」と喜びを表したのは柿原氏。キウイ、ペカンの品種改良と普及、ウコンの普及と栽培に貢献してきた。百周年を記念してペカンを千本植える予定だという。また、今後は日本へ輸出したいと話した。
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 約二百人の盛大な拍手とともに始まった式典。六氏と婦人ら、山本喜誉司の息子である山本坦カルロス氏、高橋委員長、山下譲二文協副会長、田畑篤史在サンパウロ総領事館副領事が舞台に上がった。
 高橋委員長は、「百周年ということもあり推薦者が多かった」と審査の苦労をもらしつつ、「ブラジルの農業は世界の注目の的。日系人の役目はまだまだ残されています。受賞者の方々にも、ますます貢献していって欲しい」と激励した。
 続いて山下文協副会長が、山本喜誉司氏の経歴と受賞者を紹介。「百周年の年の受賞は一層重みを増すもの。これをステップに今後も活躍して欲しい」とあいさつ。
 受賞者にプラッカと記念品、夫人に胡蝶蘭の鉢が贈られた。受賞者を代表して、山田氏が「大好きなこのブラジルの農業を私なりの力と努力で少しでも良くすることが私の使命。ブラジルにおける我々日本人の百年変わらぬ魂を、人生の最後まで証明していきたい」と話すと、会場は拍手に包まれた。
 続いて、羽場久夫選考委員の音頭で乾杯をして、祝賀パーティーへ移った。
 鈴木典子夫人(80)は、「日系社会とブラジルに感謝しています。好きなようにやらせてもらい、心おきなくやってきました。そして賞を頂けてとても嬉しい」と笑顔を見せていた。