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軍政令第5号から40年=独裁政権下最も残酷な法律=世界人権デーに振り返る

ニッケイ新聞 2008年12月10日付け

 本日十日は、世界人権宣言から六〇年目の「人権デー」だが、ブラジルの軍事独裁制関連記事を七日伯字紙が報じている。
 四〇年前の一九六八年十二月十三日は、コスタ・デ・シウヴァ大統領ら二五人による国防会議開催日。ここで、軍事独裁制下に採択された中で最も残酷と評される軍政令第五号(AI―5)が採択・発令された。
 AI―5は、同大統領自身が翌年廃止しようとしたが、病に倒れ、叶わなかったという物で、軍や政府、議会から一切の非同調者を追放するための法。採択直後には「軍政権は今後、政権が良しとしたことを実行する」と宣言し、報道機関は完全統制下に置かれた。人身保護法一時停止や裁判権の軍事法廷移行などの他、市民、政治運動の指導者達の参政権剥奪、拘留も行なった。
 同政令発令直後には、大統領経験者など著名な政治家やジャーナリスト二〇〇名が逮捕され、一九七八年に廃止されるまで、政治家や各種の運動家の多くが地下活動や亡命を余儀なくされた。
 同政令採択直前は軍独裁制反対の気運も高まっており、九月の国会でブラジリア大学への官憲導入を避難したマルシオ・モレイラ・アウベス下議が、十二月十二日の国会で再び軍部批判。これに対して軍政権が求めた同下議の不逮捕権停止が否決されたことが、翌十三日の国防会議での同政令採択につながった。
 軍政下で政治活動停止となり国外亡命のフェルナンド・エンリッケ・カルドーゾ前大統領などはAI―5の被害者で、同政令による処罰者は一五七七人、役職剥脱や政治活動停止は最高裁判事ら四五四人。軍政時代全体なら、ルーラ大統領も投獄された他、次期大統領候補のセーラ、ロウセフ両氏など、現在活躍中の人物も多い。
 「身をもって民主主義の尊さを知った」というロウセフ官房長官や、「民主主義との戦いは終りのない戦い」というセーラサンパウロ州知事の言葉は軍政下の苦しみから生まれたものだが、性や民族差、障害・疾病ゆえの差別やいじめなども人権問題。歴史に学びつつも、人権との戦いは繰返されている。