ニッケイ新聞 2008年12月10日付け
信濃、鳥取両海外協会により創設され、今年で八十二周年を迎えたサンパウロ州ミランドポリスの第二アリアンサ移住地。創設に関わった鳥取県は現在も日本語教師を派遣、県関係者来伯の折に訪問するなど、〃鳥取村〃とも呼ばれる同地との結びつきは今も強い。今年六月二十四日には、サンパウロ市の百周年式典出席のため来伯した平井伸治県知事など慶祝団一行も同地を訪問。地域住民との交流・意見交換会や、日本語学習者や県人会有志による学習成果の発表や郷土芸能の披露、スポーツなども行なわれ、交流を深めた。このほど、第二アリアンサ日系文化体育協会の佐藤勲会長より、一行訪問の寄稿が編集部に寄せられたので、以下紹介する。
第二アリアンサ村は一九二六年八月七日、当時の白上佑吉鳥取県知事の動きにより信濃側の永田稠力行会会長、輪湖俊午郎、北原地価造の働きで誕生しました。
一九二七年三月、鳥取県から橋浦昌雄氏が初代現地理事として移住し、移住されてくる人たちの世話をしながら原始林開拓がスタートし、並々ならぬ困難を乗り越え、八十二年の現在に至っています。
一九八八年には西尾邑次鳥取県知事、二〇〇四年には田中康夫長野県知事が来村され、今年の日本移民百周年には平井伸治鳥取県知事、鉄永幸紀県議会議長、中永廣樹教育長、議員方、安藤文雄・鳥取県中南米移住史編集委員会委員長など十五名が、サンパウロで行なわれた移民百周年に参加してから第二アリアンサ鳥取村にお出で下さりました。
NHKからも取材に来られ、村の様子を放送されました。これまでには河本副知事、藤井副知事、多くの議長、課長方も来村下さっています。
村にできている会館建設には、鳥取県をはじめ、故郷を愛する村出身者から多大な協力を頂いており、九四年から鳥取県から教師を派遣して頂くようになり、日本語教育、母県との交流、日本文化の取り入れなどに大きく役立ち、現在では八代目の木下孝子先生に活躍してもらっています。
村は一九六七年に電化、七八年に電話化され、乾燥期には埃、雨期にはドロドロで悩まされた道も、サンパウロから南マット・グロッソ州に繋がるアスファルト道路が、村の中心一直線にでき、それに添ってインターネットが繋がるといった村に変わってきました。高等学校、大学出の若い人達が農業、果樹、牧場、養鶏などに頑張っています。
村が発展していくには歴史を残し伝えていく必要があり、写真や、開拓当時使われていた道具、回想録、名簿などを、村に関係のある皆さんから頂いて展示会や、物語を作っています。
この日本移民百周年を記念する年は、県から教師派遣、繋がり、交流などの明るさや、記念誌作りなどが見られた良き年であり、この年から新たな芽を出して次世代が発展していく村になる事を願っています。