ニッケイ新聞 2008年12月10日付け
「日系社会の行く末をいつも心配してくださっている皇室が、いつまでも栄えますように」。日系御三家主催の天皇誕生日祝賀会が九日午前、文協貴賓室で今年も行われ、若き日の天皇皇后両陛下のお姿が描かれた肖像画の前で、日系団体代表者ら約七十人がバンザイ三唱、陛下の七十五回目のお誕生日と共に、皇室の弥栄(いやさか)を祈った。
文協コーラス部の先導により両国歌を斉唱したあと、ブラジル日本文化福祉協会の上原幸啓会長は、四月に東京で行われた百周年式典で陛下から日系社会への温かいお言葉を直接いただいたことを振り返り、「日系人にとっても心の拠り所であるそのご存在を、久しくお示しいただきたい」と日本語で願った。
さらにポ語で「陛下のお心は常に我々とともにお在りになる。その想いを次の世代に伝える重責を感じる」とのべた。
続いて丸橋次郎在聖首席領事は、六月に皇太子殿下がご来伯された折には、日系社会のみならずブラジル社会と一緒になって歓迎した様子を振り返り、「百周年が日伯関係緊密化に貢献した。まさに皇室外交であった」と語った。
ブラジル日本都道府県人会連合会の与儀昭雄会長がバンザイ三唱、サンパウロ日伯援護協会の森口イナシオ会長が乾杯の音頭をとった。森口会長は「陛下が体調を崩されたとお聞きし、みな大変心配している。陛下の健康のために心をこめてサウーデと唱えましょう」と呼びかけ、カンパイ、バンザイ、サウーデと唱和した。
参加者の一人、静岡県人会の杉本教雄会長(62、二世)は「陛下は我々日系人にとっても最高の権威だ。六月に皇太子殿下がいらっしゃった時、慰霊碑で握手させてもらい、心がズキッとした。未来の天皇陛下と思うと大変身近に感じた。陛下と握手できたら死んでもいい」などと語り、笑顔を浮かべた。
山梨県人会の高野隼士会長(69、二世)も、皇太子殿下がセーラサンパウロ州知事の晩餐会で飛び入りでビオラを弾かれた姿に感動したことを前置きし、「ブラジルにも、陛下のような国民団結のシンボルがほしい。日本の良い点をもっとブラジルにもってきたい」との気持ちを披瀝した。
総領事公邸=約350人が健康願う
サンパウロ市モルンビー区の総領事公邸でも天皇陛下誕生日祝賀会が催され、約三百五十人が集まった。
日伯両国歌が流れた後、あいさつに立った西林万寿夫総領事は、六月の皇太子殿下ご来伯にも触れながら、「今年のブラジル日本移民百周年・日伯交流年をきっかけに両国の経済関係が強化された年だった」と話し、天皇陛下の健康と皇室の弥栄を祈った。
三年四カ月の任務を無事終え、来月上旬に帰国することから、出席者らに感謝の意を表した。
西村技術財団の西村俊治さん(98、京都)は、国歌が流れると、背筋を伸ばして立ち上がった。「やはり日本人だから、(祝賀会に)来てしまう。おめでたいことです」と笑顔を見せた。
八年間モジ・ダス・クルーゼスの市長を務める安部順二さん(68、二世)は、「年を取るに従って、皇室の存在が日系人にとって大きく、これからの日伯交流にも必要だと感じる。心からお祝い申し上げたい」と話した。
元陸軍少将の小原彰さん(68、二世)は、日本会議のメンバー。日伯両国で何度も陛下と面会している。
「そのたびに私たちの健康や日系社会のことを気遣ってくださるのは嬉しい限り」と話しながらも、「(NHKで)陛下のご健康が良くないことを知り、今はこちらが心配しています」と表情を曇らせた。
天皇陛下の従兄弟にあたる多羅間俊彦さん(79)は、「コロニアやブラジルの立派な方に祝ってもらって嬉しい」と会場を見渡し、陛下の健康状態について、「八日に日本の方へ電話しました。心配ないということで安心しました。やはりストレスがあるのではないでしょうか」と話した。