シコ・メンデス氏に恩赦=死後20年経て国が謝罪=未亡人に賠償金支払いも
ニッケイ新聞 2008年12月12日付け
一九八八年十二月二十二日に、開発業者が雇った殺し屋によって暗殺された環境保護活動家のシコ・メンデス氏氏に対し、国が公式謝罪し恩赦付与と十一日付フォーリャ紙が報じた。
世界的にも知られた環境保護活動家の本名は、フランシスコ・アウヴェス・メンデス氏・フィーリョ。一九四四年十二月十五日、アクレ州シャプリーのゴム樹液採取者の息子として生まれ、幼い頃から父と共にアマゾンの森の中で働いてきた。
二〇歳頃まで読み書きも知らなかったといわれるメンデス氏が、頭角を現し始めたのは一九七五年。ブラジリアの農業労働組合の事務長に選ばれたのがきっかけだ。
ブラジルでは当時既に、軍部及び開発推進派と、環境保護派のゴム樹液採取者らの対立があり、メンデス氏も七六年からゴム樹液採取者らの森林伐採への抗議運動に参加。七七年にはシャプリー農業労働組合設立に加わり、市議にも選ばれたが、所属政党からは環境保護活動への理解が得られず、脅迫も受け始めている。
七九年には、労組や社会、宗教活動のリーダーを集めた討論会企画により、当局から反乱分子とみなされ、拷問を伴う強制尋問も受けた。また、ルーラ現大統領らの労働者党(PT)設立にも関わり、設立年の八〇年にも、農場主らの訴えで当局の処罰を受けている。
八一年から殺害されるまではシャプリー労組執行部メンバーとして活躍。軍政下の迫害を繰返し経験する一方、国内外での環境保護活動が認められ、八七年の国連視察団の受入れ役も務めた。
視察団が見たのは、国外銀行が絡んだ開発計画による森林伐採やゴム樹液採取者追放の実態。二カ月後にメンデス氏が行った米国上院や米州開発銀行への提訴で開発計画は中止となり、国際的顕彰も受けたが、彼の活動が農場主や政治家達の逆鱗に触れたことは想像に難くない。
森林伐採が進み、活動を益々活発化させるメンデス氏と、激しさを増す迫害。最後は暗殺されたが、「ゴム樹液採取者の生活を守る戦いが、アマゾンの森を守る戦いとなり、やがて、人類を救うための戦いとなっていった」との述懐もある。
軍政下の迫害に耐え、民政憲法発布直後に凶弾に倒れた英雄について、二〇〇五年提出の恩赦請求が認められた十日には、幼子を抱えて苦闘の後、夫の名誉回復を願った未亡人への三三万七八〇〇レアルの賠償金と、月三〇〇〇レアルの生活費支払いも認められた。