ニッケイ新聞 2008年12月12日付け
「毎週六件から十件ほど行方不明者の写真と経歴を載せていた。本人の身元が分かるまで同じ広告を三カ月以上続けて出すこともあった」。
在日ブラジル人向けのポルトガル語新聞「トゥード・ベン」を週一回発行するJBC出版社の新井ジョニー編集長(35、サンパウロ市、三世)は、九〇年代後半、ブラジルの留守家族の依頼を受けて掲載した尋ね人の広告が、紙面の一角を埋めていたと振り返る。(編集部注=同紙は取材後、月刊誌「トゥード・ベン・マガジン」に移行)
「一九九五年ごろから〇三年ごろまで掲載していた。日本のブラジルコミュニティーに協力する目的もあって、費用はすべて無料だった」。
広告を掲載すると、たいていの場合、日本にいる知り合いや親戚を通じてすぐに見つかった。しかし「俺は行方不明者ではない。ブラジルの家族と連絡を取りたくないだけだ」と本人からのクレームが相次いだ。新井編集長は「日本で新しい家族と暮らしているからです。掲載を止めなければ訴えると言われたこともある」と振り返る。
こうした事情に加え、九〇年代末から家族揃ってデカセギに行く傾向が高まったこともあり、掲載申し込みは減った。
「今でも二カ月に一回くらいは広告の依頼がある。でも断っている。その情報が正しく、依頼主が本当にその人の家族なのかも分からないからです。広告を再開する予定もありません」。
日本とブラジルで発行する他のポルトガル語新聞ニッポ・ブラジルでも、以前は広告を出していたが、同様の理由で掲載を止めたという。
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新聞での尋ね人の広告に代わって主流になってきたのが、インターネット媒体のようだ。
元デカセギの木畑アキオさん(46、三世、パラナ州クリチーバ市)は、デカセギ向けの情報サイト「ポルタル・デカセギ」を〇一年ごろから運営し、行方不明者の捜索支援サービスを行っている。
希望者は、自分の名前とEメール、捜索したい人の情報をサイトに登録するだけ。サービスはすべて無料だ。「毎日新規登録の申し込みがある」と言う。現在の登録者数は約二千三百人。そのうち、約三百人がデカセギと説明する。
行方不明者の捜索を専門にするサイト「DESAPARECEU(消えた)」でも、本人の名前と最後に確認された所在地などを掲示板に書き込み、閲覧者の連絡を待つシステムを導入している。国別に分類されており、〇八年九月末現在で、日本の欄には、デカセギと見られる二十五人の日系人の名前がある。
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今年六月十八日にグローボ紙が掲載した特集記事によれば、在名古屋ブラジル領事館には、日本で行方が分からなくなったデカセギの捜索願いが、年間で三百人から三百五十人も寄せられている。
同領事館のポルトガル語版のホームページを見てみると、行方不明のブラジル人の名前とその生年月日がずらっと掲載されている。その数はざっと百人以上だ。
「深刻な場合であっても少なくとも半分の人の所在は分かる。しかし、全体的に多くの人が自分の居場所を明かされたくないと思っている」。同紙のインタビューで、アフォンソ・ムーズィ同領事館総領事は、行方をくらましたデカセギの心理をこう推察している。(つづく、池田泰久記者)
写真=JBC出版社の新井編集長(サンパウロ市の同社ビル内にて)