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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2008年12月12日付け

 「土地が良ければ、ジャポネースである必要はない。肥沃でないからこそ君たちの協力が必要なんだ」。半世紀前のブラジリア遷都にあたり、発案者のジュッリーノ・クビチェッキ大統領は自らそう説得し、サンパウロからの日系野菜農家の入植を促したという秘話を聞いた。週末の第二回文協統合フォーラムで、ブラジル中西部日伯文化協会連合会の秋本満敏会長は胸を張って、臨場感たっぷりに説明した▼最初にブラジリア視察にいった日系農家は、一目で土地や気候が向いていないことを見抜き、当初は返答を保留していた。しかし、大統領は「いつから野菜生産を開始できるんだ?」と聞き、日系人が土地の問題を出した時に、冒頭の言葉で説得したのだという。「五十年の進歩を五年で」をスローガンに絶大な人気を集めた彼ならではの強引さだ▼「農業の神様」の面目躍如、日系農家らは見事に大統領の期待にこたえ、不可能と思われた乾燥地帯での野菜生産を成功させ、建都にあたる労働者の食生活を支えた▼大統領の注文は経営や採算の常識で考えればまったく無茶な話だったが、世紀の大事業である新首都建設の理想を粋に感じて賛同した当時の日系農家の心意気は立派だ。日本移民のブラジル建国への貢献を象徴する話だろう▼今でこそ二千四百家族もの日系人がいるが、最初に入ったのは五六~五七年の八家族、正式な日系農家導入は五八年の約三十家族だった。「三十家族のサムライ」だ。それをもって今年は五十周年だった。百周年の影に隠された節目だ▼遷都の決断なくして、現在の内陸部発展はありえなかった。ブラジル史の裏に日系人あり。(深)