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ブラジル版杉原千畝100歳に=ナチ支配下のユダヤ人救う=軍政下でも擁護活動継続

ニッケイ新聞 2008年12月23日付け

 第二次大戦中、国の命令に背いてユダヤ人へのビザ発給を行った杉原千畝氏の話は有名だが、ブラジルにも、ユダヤ人救出によってエルサレムの大虐殺博物館などにその名が顕彰され、記念植樹にも招かれた女性がいる。
 二十一日付エスタード紙によれば、パラナ州出身で今年一〇〇歳、黒く輝く目を持つアラシー・デ・カルヴァーリョ氏がその人。英、仏、独、ポの四カ国語に長けた女性で、ドイツのブラジル領事館ビザ発給担当者として数百人のユダヤ人の命を救ったという。
 ドイツ在住の伯母の所に身を寄せたアラシー氏がブラジル領事館に採用されたのは一九三六年。ジェツリオ・バルガス政権はユダヤ人へのビザ発給禁止を命じたが、ビザ担当のアラシー氏は、領事がサインすべき書類の中に、ユダヤ名を隠したビザ申請書類を混ぜたり、市役所職員の協力で、偽の居住証明を作り、非ユダヤ人としての書類を作成したりしたという。
 公用車の後部座席にユダヤ人を匿っての国境越えなど、身の危険を冒しながらビザ発給をするアラシー氏と、今は亡き夫で文学者のギマリャエンス・ローザ氏の出会いは一九三八年。領事補として勤務していたローザ氏はアラシー氏に度々警告したというが、ドイツ全域から来るユダヤ人へのビザ発給は、一九四二年の伯独国交断絶まで継続された。
 国交断絶の年に帰伯したアラシー、ローザ両氏は、一九四七年に仮の結婚(二人とも結婚歴があり、現在でいう離婚が認められていなかったため)。パリ大使館勤務などを経て、一九五〇年からリオ市に定住した二人は、六〇年代にも政治犯として追われた人物を匿うなど、命や人権擁護に関わる活動も継続。
 一九六七年にブラジル文学学会役職についたローザ氏はその三日後に心臓発作で亡くなったが、サンパウロ市のユダヤ人コロニアでもよく知られ、〃ハンブルグの天使〃と呼ばれたアラシー氏は、ブラジル女性としては唯一、エルサレムとワシントンの大虐殺博物館に顕彰され、一九八五年のエルサレムの丘の記念植樹と顕彰碑除幕式にも招かれた。パラナ州弁護士会も、十二月九~十一日の世界人権シンポジウムで、アラシー氏を顕彰した。