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「無形の財産残した百周年」=聖総領事館=西林総領事が帰国会見=3年4カ月を総括

ニッケイ新聞 2008年12月24日付け

 来年一月上旬に帰朝するにあたり、西林万寿夫在サンパウロ日本国総領事が記者会見を二十二日午後、総領事館で開き、百周年を含めた三年四カ月にわたる公務について総括した。
 任期中に百周年、県人会創立式典などが続いたこともあり、大臣七人、議員五十八人、知事二十七人、副知事八人が来伯したことを報告、「BRICsの一国でありながら、遠方であることから初めてきた方も多かったが、いい感触を得て帰国されたのでは」と今回の訪問を機に、日伯関係が注目されることを期待した。
 経済関係では、国際的に注目が高まるエタノールや地上デジタルテレビの日本方式採用、JALによるエンブラエルの小型機導入、サンパウロ・リオ間の新幹線計画が具体化したことを挙げ、「日本からの投資が非常に進んだ」と在任中に経済関係が活発化したことを強調。
 「経済関係が冷え切った八―九〇年代のトラウマがある」と指摘しながらも、新規・再進出企業もあり、「多々益々弁ず」となれば、と将来のさらなる関係に期待を寄せた。
 百周年に関しては、日本政府に対し、前任の石田仁宏総領事の時代から、箱モノ支援の要望が高かったことを振り返り、「財政上、無理だということを早くキャッチしてほしかった」とやんわりとコロニアと日本の感覚にズレがあったことを指摘。
 そのうえで、「多くの事業が行われ、無形の日本文化に触れたのではないか」との認識を示し、「大変にインパクトがあり、多少の問題はあったが成功といってもいい。官民一体となって取り組み、ブラジルメディアも取り上げ、日本のいいイメージを与えた。コロニアの信用という基盤があったことを痛感している」と話した。
 また「個人的にも、進出日本企業への協力呼びかけをしたが、コロニアと商工会議所の関係がギクシャクしている。もう少し一体化してもいいのではないかとの印象を持った」と述べた。
 中国政府が世界的に力を入れている中国語教育の一環で、UNESPが中国語コースを開講したことに触れ、「日本政府も日系人及びブラジル人に対する日本語教育の対応をすべきでは」との見解を示した。
 『二十一世紀の日伯地域リーダー交流事業』などでブラジルの青年が訪日したことに触れ、「これからも両国の若者の交流が重要となってくる」とも話した。
 なお、二回の在外選挙の実施、就労ビサ発給の厳格化、ドミニカからの再移住者への特別一時金給付、在外被爆者への健康手帳発給など、領事館事務にも変化があったことにも触れた。

西林総領事送別会=「ボア・ソルテだった」=日系34団体が別れ惜しむ

 「ボア・ソルテ(幸運)な三年四カ月だった」――。任務を終え、来年一月に帰国する西林万寿夫総領事の送別会が文協ビルで十九日夜に開かれ、約百六十人が出席、別れを惜しみつつ歓談の時を過ごした。日系三十四団体の共催。
 上原幸啓文協会長の送別の辞に続き、記念品として、画家の故木暮光孝氏が描いた「イグアスーの滝」が贈られた。
 西林総領事はあいさつで、「皇太子殿下をお迎えした百周年を見届けることができたことを嬉しく思う。大成功に終わった百周年はブラジル人も祝ってくれ、まさに日伯共同事業だった」と評価、続けて「三十近い県人会の創立行事に参加、財界のリーダーを迎えることができた」と報告。
 私生活でも、ゴルフや趣味のクラシック音楽を多く鑑賞、「正直言って去り難い」と滞在を満喫した様子で話した。
 最後に「家内もコロニアに温かく迎えてもらった」と喜久子夫人と共に深く頭を下げ、出席者からは大きな拍手が送られた。
 会場を大サロンに移した立食形式でのパーティーでは、援護協会の森口イナシオ会長が乾杯の音頭を取り、総領事夫妻は別れを惜しむ人々の輪の中で笑顔を見せていた。
 西林総領事は、大晦日にリベルダーデ広場である餅つき祭りや、元旦に文協大講堂で行われる新年祝賀会にも出席する。