ホーム | 特集 | 大盛況、6千人の大運動会=オザスコ日伯文化体育協会=百周年記念し参加者多く=家族全員楽しい1日過ごす

大盛況、6千人の大運動会=オザスコ日伯文化体育協会=百周年記念し参加者多く=家族全員楽しい1日過ごす

2008年5月13日付け

 サンパウロ市近郊最大の運動会――。約六千人(主催者発表)が訪れ、大盛況のうちに幕を降ろしたオザスコ日伯文化体育協会(荒木進会長、ACENBO)の恒例「移民百周年記念家族慰安大運動会」。百周年事業の一環。今年で第四十四回目を迎える運動会は四日、同文協の運動場で行われた。約九時間に及ぶ運動会では、三十のプログラムが組まれ、多い時には二十回も同じ競技が行われるほど参加者が多かった。子どもからお年よりまで家族全員が一緒に参加し、楽しい一日を過ごした。
 記念すべき百周年となる今年は、今までで最大規模となる約六千人(主催者発表)が訪れた。午前中は曇っていたが、昼前ぐらいから一転して晴天になり、絶好の運動会日和となった。
 同文協では「家族楽しく、将来に続けていけるような運動会」を目標に行っている。毎年五月の第一日曜日、昭和天皇のご誕生日(天長節)にあわせて開催している。
 五月五日が日本のこどもの日だったことから、三組の鯉のぼりもあげられ、元気よく空を泳いでいた。
 関係者は万国旗を掲げたり、テントの用意をしたりと前日から準備を始め、運動会当日も朝六時から準備を行っていた。競技の決勝係などは、陸上部の選手たちが担当。積極的に手伝っている姿が目立った。
 最初に、先亡者に対する一分間の黙祷が捧げられ、その後、清水弘(ひろむ)実行委員長の「これから運動会を開催します」との力強い開会宣言でいよいよ競技が開始された。
 まず、体をほぐすためにラジオ体操。子供から大人まで五十人ほどが運動場の真ん中に集まり、来場者の見本になってラジオ体操第一と第二が行われた。
 競技を開始した午前九時頃は曇り空で冷たい風がふいていたが、競技が進むにつれ陽が差すようになり、気温もあがってきた。
 天候にも恵まれたために参加者も増え、百メートル競走が二十回、算数競走が十五回、ビン釣り競走は十五回、二人三脚も十五回行われるなど、参加者の多さが際だった運動会になった。あまりに人数が多いため運動場のあちこちで、同時にいくつもの競技が行われた。
 重荷運び競走は、土木や建築に使用される一輪車の荷台に人を乗せて、後ろから押すもの。荷台に乗った人は少しでも押す人に協力するために前に体重をかけて乗ったり、といろいろと試行錯誤する姿が見られた。その一方、観客席に向かって手を振ったりして、会場を沸かせるサービス精神旺盛な参加者もみられた。
 ムカデ競走では、五人が紐で足を結んで、調和を保って走った。走る前に「ウン、ドイス、ウン、ドイス」と掛け声を決め、練習する姿もみられた。負けないために、空いている時間を使って練習しているチームもあり、競技に対しては真剣そのものだった。
 一番の盛り上がりをみせたのは、日が暮れ始めた頃、運動場に夜間照明が灯されてから行われた四色リレー。男女別でベテランと青年に分かれて行われた。出場選手には大きな声援が送られ、選手を追い越すたびに大きな声援とため息が交差した。
 約九時間に及ぶ競技も無事終了し、一人のけが人を出すことなく閉幕した。
 陸上部の顧問、安永祐動さんは「家族慰安運動会と銘うっているだけに、家族が集まって楽しんでいる姿が微笑ましい」と笑顔をうかべつつも、「非日系人の参加も多くて嬉しいが、用意は日系人ばかり」と少々残念がる。「二世や三世が中心になっているけれど、四世や五世が協力してくれているのは良い事だ」と付け加えた。
 来場していた上田淑江さん(70、北海道)は「毎年楽しみで訪れます」と嬉しそうに話した。「昔は走っていたけど、最近はさすがに走れないので、家族の応援と友達に会うのが楽しみ」と話す。今回は走らない競技に参加している。「スポーツを見るのが大好きなので、運動会は特に楽しみ」と笑顔。「家族楽しく過ごせる運動会は一番良い」と語ってくれた。

特に盛大だった開会式=20ものクラブが入場行進

 朝一番に開会宣言が行われたが、開会式自体は午後から行われた。陸上、バトミントン、釣り、太鼓、野球、フットサル、柔道など二十のクラブが入場行進を行い、各クラブが入場するたびに観客席からは大きな拍手が沸き起こった。
 今年は百周年を記念して、多くのクラブが入場行進を行い、運動会を盛上げた。
 日伯両国家が流れる中、ブラジル国旗をエミジオ・デ・ソウザオザスコ市長の代理でジョルジ・ラパス秘書、日本国旗を荒木会長、オザスコ市旗を清水実行委員長がそれぞれ掲揚した。
 宮崎文夫オザスコ市議は、「今年は日本移民百周年を記念して行われていることをとても誇りに思っている。日系人の子孫の一人として喜ばしいこと」とあいさつ。その他、ラパス秘書、荒木会長などたちもそれぞれあいさつを行った。
 会場には、オザスコのミス・センテナーリオのカミラ・トヨナガさんも応援にかけつけ、運動会に華を添えた。
 開会式後には、同文協の轟太鼓部が演奏を行い、見事な演奏で来場者から万雷の拍手を浴びた。

軽快な清水実行委員長=問題解決も楽しみのうち

 今回実行委員長を務めた清水弘さんは「今日は雨が降らなかったことが一番良かった」と開口一番に喜んだ。
 「観客席や本部などの設営が大変な作業だったけど、みんなが協力してくれたから、スムーズに進めることができた」と話す。
 また、「三世から四世の世代が中心になってきて、親が興味を持ってくれなくなっている現状が心配」と懸念する。「後世に続けていくことが重要で、小さい子どもからお年よりの大家族が楽しめるようにしたい」と目標を口にした。
 「日系人が頑張っているところを少しでも多くの人にみせたい」と意気込んだ。
 問題がおこると軽快な足取りで、その場所に駆けつけ、問題解決に努める清水実行委員長。「元々走ることが好きだから問題はないし、それも一つの楽しみになっている」と笑い飛ばした。
 競技の途中では、婦人団体による団体舞踊が披露された。花を両手に持って踊る二十一世紀音頭と日伯両国旗を持って踊るブラジル日本移民百周年音頭の両方が披露された。
 二十一世紀音頭を指導している岡田多美子さんは「何年も前から指導をしているけど、なかなか上手にならなくて」と照れ笑いをし、「でもみんな一生懸命楽しく踊っているから良いでしょ」と嬉しそうに笑った。

最高齢参加は滝浪さん=84歳で元気よく参加

 滝浪栄子さん(84、神奈川)は、今回の運動会中で最高齢者参加者のようだ。
 滝浪さんは、小さい頃から走るのが好きだったかが、入植当時は忙しく、走ったりする余裕はなかった。時間的にも、経済的にも余裕がでてきたために、五十五歳の時に陸上を始めた。
 健康の意味も含めて走ったり、縄跳びをしたり、鉄アレイをあげるなどして、体を鍛えている。
 沖縄で一九九八年に、イタリアのフィツィオーネで昨年行われた高齢者の世界陸上大会にも参加した。
 「走るのは遅いけれども、私が出場するカテゴリー(八十から八十四歳まで)では出場者がすくないから入賞できるんですよ」とおどけて見せた。
 「年末頃から足を痛めたために、正月から現在まで走っていない」と少々うつむきながら話し、「毎年この運動会では、千五百メートルに参加しているけれど、今年は参加できない」と残念そうに話した。そのため、今年は走らない競技のボーリング競走とゲートボール競走で出場していた。
 「今は走れないけど、八月にイビラプエラで行われる陸上大会には参加したい」と意欲を見せていた。

オザスコ文協役員

 【顧問】柳森優、山戸剛、三浦邦治、野依治雄、広瀬マリオ、高岡マルセロ、松原三郎、小東光男、井上健治、宮田ルイス、下川興、平良明次、青木次郎【相談役】伊藤勝豊、横山マリオ、宮崎文生、坂口光喜、井ノ口次朗、【名誉会長】高清
【会長】荒木進【副会長】平塚修、清水弘、岩下清治、清水リジア、川崎ネルソン、雉村ネルソン、金親マウロ、久保田オズワルド【第一会計】橋本カルロス【第二会計】吉瀬マウロ、舘岡フミオ、成田ルチみゆき【第一書記】島田稔【第二書記】清水リジア【日語書記】佐藤浩之
【イベント委員】弓矢英行(委員長)、寺坂義信、横手好子、川崎ネルソン、清水リジア、井上好隆、田中パウロ、雉村ルイス、宝スージー、金川エリー、雉村エリカ、成田ルチみゆき、舘岡フミオ、金親マウロ、広田のりよし、高倉正江、森本ネルソン、森シセロ・しずと、清水のぶみ、平塚チエ、丸田ジョルジ【総務委員長】平塚修【建築・保全委員】清水弘(委員長)、田中パウロ、雉村ルイス【渉外委員】宮崎文生(委員長)、大瀧多喜夫、山戸ファビオ【日語教育委員長】伊藤勝豊【顧問弁護士】佐藤まさよし【文化委員長】柳森二朗【広報委員長】中里務(敬称略)