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「よいしょ、よいしょ」と百周年締め括り=サンパウロ市=リベルダーデ餅つき祭り=40俵の餅ついて盛大に

ニッケイ新聞 2009年1月6日付け

 お餅を食べて来年も良い年に――。年末の風物詩『第三十八回餅つき祭り』が去る十二月三十一日、リベルダーデ広場で催された。午前九時から行われた餅つきは、初めてNHK紅白歌合戦で生中継されるなど、百周年を締め括るコロニア史に残る大晦日となった。また、三千食のお雑煮と二万個の紅白餅が一般客に振舞われ、合計四十俵(二千四百キロ)の餅が搗かれるなど例年以上の大盤振る舞いに、リベルダーデ界隈は賑わいを見せた。
 午前九時、赤いはっぴを羽織った関係者や来賓らがぞくぞくと集まり、餅つきが始まった。NHKの中継班や現地テレビ局も駆けつけ、辺りは興奮した雰囲気に包まれる中、来賓らは慣れない様子で杵を振るっていた。
 「よいしょー、よいしょー」と、六世の大西エンゾ優太くん(4)も腕まくり。昨年、初の六世として大活躍をした優太くん。一緒に駆けつけた祖父の大西三郎さん(73)は、「皇太子殿下の前で友情の灯に点火することができるなど、素晴らしい一年でした」と振り返り、「家族全員、健康を大事に過ごしたい」と新年の抱負を述べていた。
 広場の傍らでは、揃いのユニホームを着たラジオ体操の会員らが手を休むことなく餅を丸め、大忙し。
 毎年恒例の南米大神宮の「茅の輪(ちのわ)くぐり」も長蛇の列ができ、輪をくぐった人々は祭壇前で逢坂和男宮司とあいさつを交わし、二万個用意された紅白餅を受け取った。
 午前十時頃から雑煮が振舞われ始めると、紅白餅の列とあわせ、ジョン・メンデス広場近くまで長い列ができた。
 「いけるわよ」と二杯の雑煮を平らげて満足そうに話していたのは、本間ノブ子さん(80、北海道)。「大晦日にお雑煮食べるっていうのもいいね」と友人と笑みを浮かべていた。
 また、蓑輪真弥さん(22、宮崎)が二回にわたり力強い太鼓を披露。祭を引き締めた。
 十時半頃始まった開会式で、主催団体の池崎弘文リベルダーデ文化援護協会(ACAL)会長、与儀昭雄県連会長、上原幸啓文協会長、藤田勉日本料理研究会会長があいさつ。「年越し餅を食べて、新年も良い年にしましょう」と藤田会長。
 西林万寿夫在聖総領事夫妻、飯星ワルテル下議、ロメウ・トゥーマ上議など多くの来賓が壇上に上がり、またジルベルト・カサビサンパウロ市長も遅れて駆けつけ、更なる日系社会の発展を願って一致団結した。
 正午頃から、東洋会館で来賓らにお雑煮が振舞われ、日伯両国歌や「ホタルの光」、「一月一日」などを全員で合唱。網野弥太郎ACAL顧問の音頭で乾杯し、解散となった。

NHK紅白で初の生中継=宮沢和史さん日本で熱唱

 ブラジル通として知られ、日本で移民百周年の旗振り役として大活躍だった宮沢和史さんが、NHK紅白歌合戦のブラジル移民百周年企画に出場。同枠で、リベルダーデの模様が初めて生中継された。
 現地リポーターとして同局の塚原愛アナウンサーが、餅つきの様子とリベルダーデ広場で紅白を応援する人たちの様子を、日本のスタジオに伝えた。
 塚原アナウンサーにインタビューされる様子が日本のお茶の間に流れた吉村安子さん(70、沖縄)は、「紅白はいつも観ているけど、こうして参加できるなんて、感動しています」。
 二分間リベルダーデからの中継が入った後、宮沢和史さんが、百周年記念曲「足跡のない道」と「島唄」を熱唱。日本人移民の写真とリベルダーデの模様が一緒にテレビに流れるなど、日系社会と百周年をアピールする大舞台となった。