ニッケイ新聞 2009年1月10日付け
二十五日に四五五回目の創立記念日を迎えるサンパウロ市では、取り壊しや増改築などで本来の姿を失ったり失われつつある歴史的建造物が四割と四日付エスタード紙が報じた。
サンパウロ市の歴史は、イエズス会士ジョゼー・デ・アンシエッタらが新しい村を創設した一五五四年一月二十五日に始まり、二年後の〃コレジオ・デ・サンパウロ〃という学校建設後は、サンパウロ・デ・ピラチニンガと呼ばれるようになった。
この〃コレジオ・デ・サンパウロ〃の漆喰壁の一部や地下納骨室などを残して建て直されたレプリカが、セントロの〃パティオ・ド・コレジオ〃だが、このように、本来の形やその一部を残している建物は、本当に貴重な歴史的文化遺産だ。
流石に一六世紀の建造物は多くはないだろうが、画家のジェズイーノ・ド・モンテ・カウメロ修道士の天井画発見、修復と十二月四日付エスタード紙などが報じた、一八世紀建造のカルモ教会など、当時の建築様式や文化を伝える建造物もある一方、歴史的建造物の四割は、放置や取り壊し、原型を留めないほどの改修、改築の問題にさらされているのだ。
これらの歴史的文化遺産の管理・保存の責任を負うのは、文化局のサンパウロ市歴史・文化・環境遺産保存審議会(Conpresp)だが、同審議会がデータを持つ建造物一八一三点中、七四〇点は前記の様な問題がある。
地区別で保存状態が良いのは南部で、問題のある建造物は八%。以下、西部二三%、セントロ三三%、北部七九%、東部九四%となっている。
もちろん、同審議会のデータには入らなくても歴史的価値を持つ建造物も数多いが、問題は、長年の歴史を持つ市の遺産に対し、一四人という小世帯のConprespでは手が回らないこと。
歴史的建造物破壊者を罰する条例が整備されたのが〇六年ということもあり、歴史的建造物と知らずに取り壊した例や、自然倒壊の例もあるが、五日付エスタード紙が報じたように、地域の監視員を育て、歴史を保存しようとのConprespの方針を実施し、住民ぐるみで歴史を守る体制を作ることが、歴史遺産保存への近道だろう。