ニッケイ新聞 2009年1月10日付け
「(略)記帳のため皇居前広場へ向かう人の波は、昭和天皇崩御が伝えられた早朝から夕闇が迫っても途切れることなく、私語一つ聞こえなかった」とコラム・産経抄は書く。その1989年の1月7日の夕日はことのほか赤かったらしい。この日―今上陛下が即位され年号は平成になる。あれから20年の歳月が流れたけれども短いようで長く、長いようで短い▼激動の世を生き敗戦で打ちひしがれた国民を励まし復興に繋げた裕仁天皇の晩年は病との闘いであり、かなりの痛さも伴ったのではないかと思われる。歴代の天皇のなかで初めて手術を受けられたが、旧来の慣習のようなものがあり癌の病名は伏せられもしたが、香淳皇大后とともに蒼生をこよなく愛し、大いなる崇敬を受けた▼当時は竹下登内閣であり、小渕恵三官房長が、「平成」と揮毫された色紙形を示しながらTVで放映された写真はとても懐かしい。天皇陛下は新年のご挨拶で国際的な金融危機について「国民の英知を結集し、人々の絆を大切にしお互いに助け合うことによって、この国難を乗り越えることを願っております」と述べられたが、ここにも昭和天皇の御心が生きているような気がする▼陛下は戦後50年の平成7年には広島,長崎、沖縄と東京都慰霊堂を参拝し、戦後60年には激戦のサイパン島に向かい「バンザイクリフ」に皇后さまと深々と頭を下げられるなどーあの戦争で鬼籍に入った人々の慰霊に努められている。その天皇陛下も最近は体調を崩されているのは真に心配であり、1日も早いご快復をと祈る日々である。 (遯)