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■ひとマチ点描■大泉から来た校長先生

ニッケイ新聞 2009年1月16日付け

 ブラジル駐在員子弟の百六十人余りが通う「サンパウロ日本人学校」に昨年四月に着任した清水喜義校長(57、群馬)は、ブラジルとは関係が深い。
 「今も忘れません。二〇〇七年十二月四日にサンパウロ(の同校)に赴任が決まったときは、やっぱりなと思いました」。当地赴任をなるべくしてなったと認識する清水校長は、教育者としてのキャリアの大半を〃ブラジルタウン〃群馬県大泉町で積み上げた。
 群馬大学の多文化共生プロジェクトチームの一員として、学齢期にあるブラジル人子弟実態調査に関わったり、大泉町の外国人(主にブラジル人)子弟を対象とした日本語学級の立ち上げや模索を長年見つめてきた。
 「ブラジルでの経験を帰ったときにどう生かせるかですね」―と力強く話す清水校長。現地の生活事情や教育現場を生で見て把握し、模索が続く日本のブラジル人子弟教育に生かしたい―と使命に燃えている。
 元々は中学の英語教師だが、四十二歳から管理職。しかし「現場が好き。生徒の体験実習や見学についてゆくのが楽しみ」と話す。同校生徒の深谷勇太、市原太樹くん(13)のニッケイ新聞社での職場体験にも一日同行。「たまらないですね」と生徒より(?)楽しんでいる様子だった。(親)

写真=「教師、先輩、大人として尊敬の念を抱いてもらえるような教育を目指している」と話す清水校長(14日)