ニッケイ新聞 2009年1月31日付け
ベルルスコーニ伊首相は二十九日、二月予定の訪伯を中止と決定したことを三十日付けエスタード紙が報じた。これはルーラ大統領が昨年十一月、ローマを訪問したことへの返礼であった。
これで伯伊間に進められていた戦略協定は、中断。ブラジル最高裁はバチスチ容疑者の身柄引渡しに可能性の含みを残したが、伊政府はそれでも溜飲を下げないようだ。
イタマラチーは、伊政府から公式な通知を受け取っていないとコメントを避けた。伊首相の訪伯予定も公式には決まっていない。大統領の十一月訪問から三カ月以内が返礼訪問の習慣だ。
戦略協定は、両国外務省による交渉の段階にあった。現在の貿易を、四十億ドルから八十億ドルに引き上げる相談であった。大統領訪伊の際、国防や基幹、宇宙技術、医療の協力協定に両首脳は署名した。
両国の蜜月関係は、バチスチ容疑者に対するジェンロ法相の亡命容認で終わった。法相判断には、Conare(亡命審議会)や最高裁、検察庁の見解に逆行する大統領の国家主権判断の裏付けが加わった。
いっぽう伯伊間に一石を投じたバチスチ容疑者は、ブラジル潜伏の顛末を週刊誌「イスト・エー」に明かした。潜入に先立ちフェルナンド・ガベイラ下議(PV=緑の党)と連絡を取ったという。同下議は接触を認めたが、ブラジルでの生活心得を指導しただけという。
同容疑者のブラジル潜入は、フランスで政府職員や諜報部員からなる地下組織の世話で手引きをしてもらったと告白。
フランスからスペインとポルトガル、カーボ・ベルデを経て、フォルタレーザに到着した。同空港の出入国管理局で旅券番号から同容疑者の身許が割れ、突然現れた一女性に救われた。女性は、リオデジャネイロに住居をあつらえてくれたと供述した。