ニッケイ新聞 2009年2月5日付け
【共同】戦後のブラジル移民再開に貢献しながら、計画の中断などで十分な評価がされていない松原安太郎(一八九二―一九六一年)の功績を見直そうと、和歌山市の中南米交流協会(会員数約百五十人)が当時の関係者の聞き取り調査を進めている。
同協会の迫間脩会長(62)は「『松原計画』の詳細は謎の部分も多い」と指摘。民間人の立場で大統領と直接交渉した戦後の〃移民の父〃について「文献も含めた調査を進め、一冊の本にまとめていきたい」と話している。
松原は現在の和歌山県みなべ町出身で一九一八年にブラジルに移住し、コーヒー栽培で成功。第二次大戦で同国が連合国側に回ったため、四一年でいったん途絶えた移住を戦後に復活させたのが、当時のバルガス大統領と懇意だった松原だった。
五二年に四千家族、約二万人の移民枠を獲得したが、大統領の自殺などで計画は中断。移住者は約千三百家族にとどまった。入植地から逃げ出す家族も出て、ブラジル政府から賠償を求められるなどした松原は五四年に帰国。郷里で失意の晩年を送ったとされる。