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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2009年2月11日付け

 尊徳博物館の草山昭館長によれば、二宮金次郎は十四歳で父を失い、極貧生活を送った。十六歳で母が病死して田畑を売り払い、兄弟離散の憂き目にもあった。引き取られた叔父に農業を叩きこまれ、夜、貴重な菜種油を灯して読書をして怒られた。自ら菜種を栽培して存分勉強するよう思い立つ。稲の棄て苗を拾って植え、一俵を収穫した▼農作業の合間に、年貢のない荒れ野の開墾を少しずつ行い、財を貯め、数年で田畑を買い戻した。開拓者魂がここにある。藩の老中家の財政立て直しから始まり、死ぬまでに六百カ所の村などの財政再建を行った▼戦前、多くの小学校校庭では奉安殿の横に尊徳像が建てられた。GHQ占領下、奉安殿の撤去命令が出た時、学校関係者が関係ないにも関わらず一緒に撤去したことが多々あったという。草山館長は「日本のエリートの中には二宮は古いと誤解している人がいるが、金融危機の今こそ学ぶべき」と訴えた▼その思想からは『珈琲よりも人を作れ』の力行会・永田稠氏や、『分福』をモットーにJACTO農機を創立した西村俊治氏を連想した▼ブラジル政府のボルサ・ファミリアも、社会に利益を分ける「推譲」の一種かも。中産・上流階級から徴収した税金を、貧困階級の子弟が学校にいくのと引き替えに支給する生活補助制度だ▼先日、日本の友人から「深夜番組で、あちこちで尊徳像が遺棄されているというのを見た」とのメールをもらった。〃金満国〃には堅実なモノ作りよりマネーゲームを喜ぶ機運がまだあるらしい。百周年のお祭り騒ぎは終わった。コロニアも襟を正して将来を真剣に考えたい。(深)