ニッケイ新聞 2009年2月12日付け
バイーア生まれの音楽家で「ボサノヴァの神」などの異名も持つジョアン・ジウベルトの、未発表曲を含む録音テープがインターネット上でヒットし話題になっている。
七、九日付フォーリャ紙や八日付エスタード紙によれば、問題のテープは、ボサノヴァ誕生の年といわれる一九五八年に写真家のシコ・ペレイラ氏宅で録音されたもの。
同氏宅では、ジョアンがギターを手にすれば、誰かが録音スイッチを押すという習慣があり、一九五九~六一年にレコード化された曲を含む約三〇曲に、普段の会話や犬の鳴き声も入っている。
世界中にファンを持つジョアン・ジウベルトは、一九三一年六月、バイーア州ジュアゼイロ生まれ。一五歳でバンド活動を始め、一九歳の時、リオ市の「ガロットス・ダ・ルア」に加わり、レコードも録音した。
しかし、グループ脱退後低迷し、麻薬にも手を出したのを見かねた友人の勧めで姉の家に居候。姉の家で、サンバのリズムをギターだけで表現する、バチーダと呼ばれる奏法を考案したという。
その後、リオ市に戻ったジョアンの声とギターに惚れ込んだのが、作曲も手掛ける音楽家アントニオ・カルロス・ジョビンで、五八年に最初のボサノヴァ・ソング「想いあふれて」を録音。五九年にLPが発売された。
先のテープ中一〇曲はこのLPにも収録されている。ジョアンを見出し、後にボサノヴァ誕生をもたらしたジョビンだが、カルメン・ミランダ没後帰国したバンダ・ダ・ルアのメンバーの一人がオデオンに入社した代わりにプロデューサーを失職した経歴をもつ。
歴史の皮肉か、失職後のジョビンが作曲活動に専念できるようになって生まれた音楽がボサノヴァだった。ジョアンの最初の妻アストラッド・ジルベルトが英語で歌った「イパネマの娘」は、新しいカルメンを求める米国人心理に訴え、米国でのボサノヴァ・ブームに火をつけた。多くのボサノヴァ奏者が米国で活躍し、バナナをのせたターバンというカルメンのイメージが払拭された一方、国内での勢いを失ったというのも歴史の悪戯かもしれない。
ボサノヴァ誕生当時の歌と音はtoque-musical.blogspot.comで聴くことができる。