ニッケイ新聞 2009年2月14日付け
「六十歳になった区切り。南米の大地を駆けてみたい」――。日本では定年を迎えた団塊の世代が第二の人生を謳歌すべく、様々なことにチャレンジしているが、ブラジルの団塊も負けていない。サンパウロ市内で医療器具の輸入・販売会社を経営する板垣勝秀さん(61、北海道)がかねてからの夢だった南米大陸を車で巡る旅に二十日出発する。スバル「FORESTAR」と妻美佐江さんを相棒に、ブラジル、パラグアイ、アルゼンチン、チリ、ペルー、エクアドル、ボリビア七カ国、一万七千キロを四十日。「一日あたり四百二十五キロになるから無理かな。まあ期間はもっと延びるでしょうね」と笑う。旅行中の日記は、ブログ(robertoitagaki.blogspot.com)で更新していくという。
板垣さんは、神奈川大学卒業後に明治製菓に入社。大学時代にスペイン語を専攻したこともあり海外赴任を希望、八一年に同社のサンパウロ駐在員として来伯した。
九一年に独立、現在は十三人の社員を抱える会社を経営する。
仕事一辺倒の日々。家族の不幸が続いたこともあり、「人生は短いな、と。漠然と自由な時間ができたら、車で南米大陸を回ってみたいという思いがあった」と語る。
還暦を越えたことに加え、現在の経済危機を事業をセーブする時期と捉え、「エイヤと腰を上げることにしました。明日はどうなるか分からないし、感受性が衰えないうちと思って。通ったのが牛でも女性でも同じってなる前にね」
北方領土が見える北海道・根室市で育った。国境警備のサーチライトが明滅する環境のなか、「小さい頃からロシア人はどんな人だろうって思ってましたよ」。外国に対する好奇心は人一倍強かった。
在学中の七〇年には、スペインに一年間、語学留学。横浜からナホトカへ渡り、憧れだったシベリア鉄道でモスクワまで行く予定だったが、「相棒の友人の痔が悪化」し、やむなく飛行機で移動、悔しい思いをした。
それだけに帰国の際は、ユーラシア大陸をバスと列車を乗り継ぎ、人との出会いや風景を満喫した。二十一歳だった。
それから四十年。仕事の関係上、南米各国の首都はほとんど訪れたが、あくまで飛行機で点と点の〃移動〃。今回はその間に線を引く旅にしたい考えだ。
二十日にサンパウロを出発、イグアスから、パラグアイの首都アスンシオンへ。エンカルナシオン、ポサーダス(亜国)、サンタフェ、コルドバ、メンドーサ、サンチアゴ(チリ)、アリカ、アレキパ(ペルー)、リマ、クエンカ(エクアドル)で引き返してアレキパからアンデスを越え、プーノ、ラパス(ボリビア)、コチャバンバ、サンタクルス、コルンバを回る。友人の住むカンポ・グランデでブラジル帰国を祝うのが現在のおおまかな計画だ。
日本列島を約三往復分となる一万七千キロを移動することになる。
「自転車で回る人もいるし、アクセル踏むだけですよ。車の修理方法を勉強したり、体力作りもしなきゃいけないんだけど、怠け者だから」と自然体ながらも、「写真は沢山撮るつもり。紹介してもらっている各地の日系団体とも交流を深めたい」と間近に迫った夢の実現へ期待を膨らませている。