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激変するデカセギ事情=大挙帰伯の真相に迫る=連載《4》=「代わりに中国人200人」=野宿するブラジル人も

ニッケイ新聞 2009年2月17日付け

 「私たちが働いていた群馬県富岡市の自動車部品工場では三百人以上も派遣社員がいました。ほとんどがブラジル人でしたが、昨年十二月に全員クビにされ、代わりに入ったのは中国人研修生二百人でした」
 五日午前八時、JAL便で帰伯したばかりの大関ケンジ(48、二世)、ヒスエ(50、二世)夫妻をグアルーリョス国際空港で取材すると、そう話してうなだれた。家財道具一式を詰め込んだ、トランクとカバンはいっぱいになっているが、表情は暗い。
 「三年ほど働いていたけど、ブラジル人もペルー人も時給が安い中国人には負けてしまう。信じられないけど、それが現実」と、やるせない表情を浮かべた。
 夫婦は合計で五年間デカセギをしたが貯蓄はないという。「これからどうするか。ブラジルで仕事を探すつもり」とつぶやいて、親戚の住む街へと向かった。
 派遣会社を通して計四年、デカセギをしていた石川愛弓マルシアさん(30、二世)は契約の更新を断られ、一月一日に帰国した。現在ブラジルで職を探しながら、年金の脱退手続きなどに翻弄されている。
 夫婦で愛知県西尾市にある大手自動車下請け工場に勤めていた。「とてもいい会社だった」と振り返る。通常は三カ月おきに契約が更新され、今まで二年間働いてきた。
 十一月のある日突然、会社の食堂に派遣社員だけ四百人が集められ、日本人担当者から「注文がストップしたから契約の更新はできない」と告げられた。大半はブラジル人だったが、中には日本人派遣社員も混じっていたという。
 面接をし直せば、三月から再雇用される可能性もあると告げられたが、「それまで待てない」と考え、帰伯した。
 「野宿しているブラジル人を見て、本当に悲しくなった。日本がこうなるなんて、みんな思ってなかった」と悲嘆に暮れる。「本当は残りたかった。片方がまだ仕事がある夫婦は、何とかして残ろうと頑張っている」。
 その一方で、「ブラジル人だって間違えていた」と石川さんは、デカセギのあり方を見直す。
 仲間が街中をデモ行進する姿を見て、「よその国で働いて日本語もできないのに仕事くれじゃだめ。しゃべるくらいできないと。今からでもタルジじゃない」と静かに指摘した。
 人が移動すれば、金も動く。デカセギ引揚げに伴って、昨年十月以降、日本からの対伯送金が増えている。昨年十一月二十八日付けBBCブラジルによれば、九月に比べて経済危機後の十月は六三パーセントも急増した。
 大手銀行筋のデカセギ部門担当者によれば、「円高レアル安だから送金時ではあるけど、それだけでこんなに急増したと考えるのは難しい。みんな帰ってくるために送るのでしょう」と分析し、「すぐに帰って来られた人たちは、ある程度お金を貯めていた人なのでしょう」とも話す。
 デカセギブームが始まった一九九〇年から「雇用の調節弁」だと日伯のマスコミが言いつづけてきたが、なんら待遇が改善されることがなかったことを、今回の状況は示している。
 日本企業が求めているのは、昨日までラインを動かしてきた「信頼できる日系人」ではなく、単なる「安い労働力」だったようだ。(つづく、渡邉親枝記者)

写真=グアルーリョス空港で親戚との再会を喜ぶ大関夫妻(5日)