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激変するデカセギ事情=大挙帰伯の真相に迫る=連載《6》=リピーターの心の揺れ=日伯漂う浮草のように

ニッケイ新聞 2009年2月19日付け

 「もうデカセギは終わりにしよう、もう日本に戻らない、ブラジルで頑張ろうと思って帰ってくるけど、結局また行くことになってしまう。社会に馴染めない」。
 十二日に行われたグループ・ニッケイ主催(島袋レダ代表)のデカセギ帰伯者向け支援相談会「ただいまプロジェクト」に集まった二十人の一人、佐藤ロジェリオさん(44、二世、独身)は、こう悩みを打ち明けた。
 ポルトガル語は問題ない。賃金の格差、生活水準、社会で揉まれる過程、「いざとなれば日本で働けばいい」という逃げ道的な考えなどもろもろが、ブラジルへの再適応を妨げているようだ。
 佐藤さんは、「慣れてしまえば日本は本当にいいところ。それまでが苦労するけど」と居心地のよさを振り返り、心の格闘を少しずつ話した。
 一九九一年から二〇〇七年にかけて計五回も日伯を往復している。帰国する度、〃卒業〃しようと決意するが、「ブラジルを離れている時間が長かったから、(社会に)戻るのが大変」と繰り返し語り、表情は暗い。
 かと言って、日本で落ち着いていたわけではない。最後に働いたのは〇四年から〇七年の一月まで。三年半で職場を十回変わった。「しっくりくる職場が見つからなくて、ストレスに耐え切れなくて帰国した」というが、実は六度目のデカセギに向けて書類を揃えていた。金融危機で足止めされてなければ、今ごろ日本だった。
 帰国してからすでに二年が経つが、一度も職に就いていない。「仕事があるとすれば商売や勧誘で、自分には向いていない。経験もない。今は貯金を切り崩して生活している」。
 年齢、日本語能力、給料など、危機によって今後のデカセギの待遇が厳しくなるだろうと佐藤さんは予測するが、「ブラジルで頑張ってみようと思うけど、分からない」と、行き詰まり感から抜け出せないでいる。
 山下ヨシノブさん(34、三世)も同じような悩みを抱え、「すぐに慣れることができない。もうデカセギに行かないつもりで帰国したけど、今回もそうなると思う」と三度目のデカセギを示唆する。
 九三年から六年半、北海道苫小牧市で電子部品工場に勤め、貯蓄して帰国。パイロットの専門学校に三年半通い免許を取得したが、仕事は無かった。そして山下さんが見出したのは、またデカセギへの道だった。
 〇四年九月から昨年十二月まで、三重県の電気工場で二度目のデカセギをしていた。クビではなく、自分から辞めて帰国したというが、「ブラジルで仕事を探しているけど、どうしていいか分からない。インターネットで探すけど、なかなかこれだと思う仕事が見つからない」と悶々とした心情を明かす。
 この日の相談会に集まった二十人のうち半数は、この二人のようにブラジル社会に溶け込めず、帰国後一、二年が経っても未だに仕事が見つからずに、社会復帰できない人だった。
 連載第三回で日本発渡伯者が前年比二倍以上に膨れ上がり、片道キップ利用者は五倍にもなったと説明した。この大量のデカセギ帰伯者が、今後どのようにブラジル社会に適応してゆくのか。経済が健全なときは目につかない、日伯の間に漂う浮草のような彼らの存在が、この機会に顕在化してくるかもしれない。(つづく、渡邉親枝記者)

写真=一人ひとりにアドバイスをする「ただいまプロジェクト」スタッフ(12日)