ニッケイ新聞 2009年2月20日付け
かつて祖国が焦土と化した時、ブラジルの同胞はララ物資を送り、少しでも日本国民が救われるようにと願った。昨年四月の東京百周年式典で、天皇陛下は「先の大戦によって大きな痛手を受けた日本に対し、戦後サンパウロ市の日本人有志が『日本戦災同胞救援会』を結成し、三年間にわたって救援物資を送られてきたことを思い起こし、血を分けた同胞の厚情に改めて感謝の意を表したく思います」と述べ、六十年前のことを忘れずにおられたことに、居合わせたコロニア関係者一同は感激した▼「百年に一度」の不況で、世界第二位の経済大国・日本は三月の企業決算期にどんな悪い数字がでるかと戦々恐々としている。その中で、日系社会面に開始された連載のように、日本人は保見団地のブラジル人に続々と救援の手を差し伸べている▼ここは住民の四五%が外国人(ブラジル人含め)ということで有名だ。フリー百科事典『ウィキペディア』の「保見団地」の項には、日本人住民と外国人の軋轢の結果、「一九九〇年代に入ると、右翼・暴走族関係者とブラジル人との対立が次第に激化。一九九九年には、機動隊が出動するという暴動寸前の事態まで発生した」とある▼先進諸国では外国人排斥・嫌悪の動きが強まるなか、保見団地のような場所でその種の傾向が強まっても何の不思議もない。ところが、実際には日本人からの厚意が続々と集まっている。実に感慨深い▼日本人の懐の深さ、外国人や日系人に対する同情心の強さが感じられる。在日ブラジル人コミュニティがこのように世話になっていることはブラジルで語り継がれていい。いずれ礼をすべきだろう。 (深)