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ガンと闘いつつ歌う=B・フロールのネギーニョ=サンバ会場で結婚式も!

ニッケイ新聞 2009年2月21日付け

 二十、二十一日のサンパウロ市に続き、二十二、二十三日にはリオも本番を迎えるカーニバルだが、今年のリオの話題の的は、ベイジャ・フロール(以下、BF)のプッシャドール(メイン歌手)ネギーニョことルイス・アントニオ・フェリシアノ・マルコンデス氏だ。
 リオのカーニバルで十一回優勝を誇るBFの初回優勝は、ネギーニョがBFのプッシャドールを務め始めた一九七六年。BFがパレード開始時に叫ぶ「オーリャ・ア・ベイジャ・フロール・アイー・ジェンテ」の掛け声も彼の考案だという。
 彼自身が師と仰ぐジャメロンが〇八年に死亡した後は、押しも押されぬ代表的サンバ歌手であることは衆目が認めるところ。一九四九年六月二十九日、ノヴァ・イグアスーで音楽家の息子として誕生。十歳にしてジャメロンの曲でコンクールに優勝し、一九七〇年に地元チーム、レオン・デ・イグアスーにプッシャドールとして加わった。七五年のBF移籍以降、身も心も捧げる模範メンバーを任じてきた。
 これまでは年齢を明かさないことを身上としていた彼が年齢を明かすようになったのは、〇八年七月の大量下血後、八月に受けた大腸がん手術がきっかけ。多くの人からの励ましで、名声だけを追い、魂を軽んじてきたことに気付かされたというネギーニョ。今の彼を生かし、立たせているのは祈りと抗がん剤とは、八日付アゴーラ紙の弁。
 五月まで続く抗がん剤治療は体力を奪い、以前のように長時間歌い続けるのは無理だが、一月には今年も歌うと宣言し、十五日の公式練習でもマイクを握った。手術後に失った声の張りも戻り、「本番は歌いきる」というネギーニョには、二十二日のパレード直前に、サンバ会場初という結婚式も予定されている。
 二十日朝のニュースでは、著名人らの励ましを聞き、花嫁となるエライネ・レイスさんやチーム・メイトからの抱擁を受けて感涙に浸る姿も放映された。九一年にサンバ部門最優秀歌手としてシャープ賞受賞、リオのカーニバルで優勝十一回、準優勝十回を経験。
 ガンとの闘いで人間的にも深みを増した男が、サプカイー会場に再び姿を現そうとしている。