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不況直撃、保見団地の今=山積みされた日本人の厚意=連載《中》=粉ミルクや紙おむつまで=「みんなで力を合わせて」

ニッケイ新聞 2009年2月21日付け

 【愛知県発】二月十四日、午前から名古屋や豊田からもボランティアが集まり、食糧を仕分けする作業が行われた。
 どのくらいの人が集まるか想像がつかない。今回は数日前に行われた県営住宅の抽選にもれた人たちに集まるよう声をかけただけで、食糧を配ることは事前に宣伝していないのだ。
 少ないスタッフで実態を探りながら、継続的な支援ができるように準備をしなくてはいけない。
 昨年十一月から名古屋で日本人のホームレスを支援しているグループのヨツイ・トミコさん(二世)は、「ばらばらに生きているけど、わたしたちのお父さんお母さんは日本人でしょ。みんなで力をあわせれば乗り越えられる」とミーティングでボランティアたちを涙ながらに鼓舞した。
 ボランティアとして近所から集まってきた日系ブラジル人のほとんどが職を失っている。中には家も失い、知り合いのところに身を寄せている、という人も。
 二歳でサンパウロ市に移住、八年ほど前からデカセギにきている森本亀松さんは仕事も家も失った。「ふらっと前を通ったら何かやってたから手伝いにきた。一月末から知り合いのところに家族みんな住まわせてもらってる。小さな孫がいるから大変」と話す。
 日に焼けた顔に深く刻まれた皺、ブラジルでよく見かけた一世の顔だ。年齢を聞くと、見た目よりもだいぶ若かったことがわかり、今までの苦労を感じさせた。
 団地に住むワタナベ・マサコ・マルシアさんは「友だちでもけっこう恥ずかしがって話しあわない。ここへきて知っている人が何人もいて驚いた」と感想を話した。
 解雇は派遣会社の問題、でもお金や住むところがなくて困っているという相談まではしないという。「きっと今日も恥ずかしくて来ない人がたくさんいる。こんな人数で済むはずがないよ」とマルシアさんは受付にいる人数を見て言った。
 ここでは食糧を配ると同時に、保見団地の人々の状況を把握するため、仕事や住居の有無や、家族構成を尋ねるアンケートに答えてもらい、食糧を渡した日付を記入するカードを渡す。
 一度に渡す米や根菜などは、あらかじめ同じ分量ずつ袋詰めしておく。日持ちのしないものは臨機応変に渡している。週末の食糧配布の噂を聞きつけて、保見以外からもぱらぱらと日系ブラジル人がやってくる。
 小さな子供がいる家庭には、あれば粉ミルクの缶や紙おむつを渡す。赤ちゃんのいる家庭にとってはなかなか大きな出費だからだ。
 「噂で聞きつけた」と、隣の岡崎市から来た夫婦は、同じく隣の知立市に住む娘家族にも、と食糧の入った袋を受け取った。「ここはこういうのがあっていいと思うね。家にいると不安になる」と、受付の当番としばらく話して帰っていった。
 これまではブラジル人自らの団結によるグループがなかなか成長しなかったが、もしかしたら今回、仲間意識を強める機会になるかもしれない。(秋山郁美通信員)

写真=食糧配布前に行われたボランティアのミーティングの様子