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ぴんころはみんなの願い=日本の高齢者は今=連載《3》=初めに介護保険ありき

ニッケイ新聞 2009年3月3日付け

 以前から、日本から来られた高齢者福祉関係者と話をするにつけ、なにか根本的な考え方が違うと感じていました。この話を一緒に研修に行った他のJICA研修員(ブラジル日系高齢者施設のベテラン)に話すと、わたしもそうだ、そうだと同意見。
 とりわけ、日本の福祉でよく聞かれる「利用者」、これは福祉サービスを利用する人の意味で使っています。ポルトガル語で言うならウズアーリオ。私が日本の福祉大学の学生時代には使わなかった言葉です。介護保険が始まった二〇〇〇年前後から多く使うようになったと思いますが、最初は違和感を持ったものでした。
 実はこの「利用者」という言葉が今の福祉のありかたを表しています。
 二十世紀初頭までの福祉は、どの国においても、多くは宗教関係者によって慈善事業が始められました。高齢者、障害者、母子家庭など社会的に立場の弱い人に政府は何もしてくれません。なにせ食べることで精一杯とか、革命だ、戦争だと混乱の時代です。
 慈善事業には人情以外に当然お金がかかります。多くは宗教団体のお布施や募金、奇特な篤志家によって支えられていました。そこには、恵みを施す側と頂戴する側との明確な立場の違いがありました。
 第二次世界大戦が終わり経済成長期に入ると、各国政府も福祉政策に乗り出します。この頃から、日本では北欧の国々を手本として高福祉高負担が理想とされました。その場合、老後は安心して過ごせるようになりますが、当然国民の税金の負担が大きくなります。
 老齢年金制度が整備され、民間の福祉団体にも補助金が充分に出るようになりました。でも、この頃もお金を出す国や地方自治体側と福祉援助を受ける高齢者側には「してあげる」「させてもらう」的な立場の違いがありました。
 さて、団塊の世代と言われる戦後すぐ誕生した世代、高度成長の日本を担ってきた世代が高齢期を迎えています。逆に若い夫婦が子供をあまり産まなくなりました。いわゆる少子高齢化時代の幕開けです。加えて一九九〇年代のバブル経済がはじけて、税金収入が大幅に減ります。このままでは日本は高齢者福祉倒れになってしまいます。
 そこで何らかの手を打たなければということで二〇〇〇年に登場したのが、介護保険制度です。モデルはドイツで、日本の実情に合わせて導入された新しい制度です。
 さて、導入から九年目を迎えて何が変わったでしょうか。
 介護保険法では、保険料は四十歳以上、死亡するまで払わなければなりません。そして、医療保険で医療を受けることと同じように介護サービスを受けることができます。ただし、要介護や要支援の認定を受けた人に限ります。
 では、どのような仕組みかというと、四十歳以上の国民から徴収している保険料と税金で、国は介護保険を運営します。福祉団体や民間業者は必要な介護サービスを提供し、そして「利用者」は一割の料金を払って、対価として在宅サービスやホーム入居などのサービスを受けます。
 「自分は毎月介護保険料も納めて利用料金も払っているんだから、必要なサービスを受けて当然だ」と意識が変わってきました。もう日本では慈善やお情けで介護を受けるのではありません。
 サービスを提供する事業所(福祉団体や民間業者)が気に入らなかったら自由に変えることができますし、特養ホームでも在宅サービスでも自由に選べます(ただし、現実には空きがあればの話ですが)。
 冒頭の違和感というのは、私も含めた研修員が現在のブラジルや介護保険導入以前の事情しか知らなかったためです。日本の「利用者」は、言い換えれば「お客様」という立場であって、介護する側もそのような対応が必要だからなのです。
 南米諸国では低負担低福祉の方針が多く、民間の福祉団体、慈善団体に頼っているのが現状です。そのため、施設側では口には出さなくても、「あなたのためにやってあげているんだから、文句を言わないでちょうだい」という気持ちが心の底にあるかもしれません。
 今後、ブラジルにおいて、民間レベルでの介護保険サービス実現の可能性はありそうです。サービスを実施する際には、高齢者福祉団体の職員、介護講習修了者などの人材は貴重です。運営はどうなるとか、保険料はどうか、利用料金はどうかとか色々問題がありますが、その時代が来るのも近いと感じています。(つづく、川守田一省・援協広報渉外室長)

写真=特養ホームの認知症専門のユニット。徘徊対策のため、出入口は電子オートロックで不意な出入りを防止している