ニッケイ新聞 2009年3月11日付け
現存する最古の日系校は赤間学院(一九三二年)だと思っていた。ところが、実は南麻州のカンポ・グランデにあるヴィスコンデ・カイルー校は、前身である日本語学校が一九一八年に創立されている。日系最初の教育機関といわれる大正小学校が一九一五年創立だから、ほぼ同じ時期だ▼カンポ・グランデ日伯体育文化協会が編纂した『日系コロニアの歩み』(二〇〇五年)によれば、「この活動が出発点となって後の沖縄県人会や中央日本人会、連合日本人会が生まれ、現日伯文化体育協会へと発展していった」(四十四頁)とある▼興味深いのは、やはり戦争中のエピソードだ。長年にわたって校長を務めた非日系ルイス・アレシャンドレ・デ・オリベイラ氏は、同地の農業組合の理事長としても組合を守り、「日本人以上に日系コロニアのために尽くしたと高く評価されている」(四十八頁)とある▼同氏は常々、「日系コロニアは私の家族、兄弟だ」と明言し、「ヴィスコンデ校が敵国団体の経営との理由で閉鎖に直面した時、身を張って官憲に立ち向かい、あわや投獄される危険な場面もあった」(同)というから筋金入りだ。もちろん戦争が終わって、ルイス氏は全ての財産を日本人社会の代表者に返却したという。珍しい美談だ▼こんなに誠実にやってくれた理由の一つは、彼がリオ法科大学に進学した時に、日系人からの経済的な支援があり、その恩に報いる気持ちが強かったからだという▼九五年に日本政府より勳五等宝冠章が贈られたが、昨年、笠戸丸表彰は贈られていない。このようなコロニアの恩人の歴史はもっと語り継がれてもいい。(深)