ニッケイ新聞 2009年3月17日付け
どうも近頃の日本はおかしい。物事の良し悪しを判断する原則のようなものが崩れているとしか思えない。人殺しや物を盗んでいけないのは社会の鉄則なのに誤れる同情論や情状酌量の見方ばかりがはびこっている。長崎や鹿児島・福岡の高校では、授業料未払いの生徒に対し、学校が卒業証書を授与せず、一旦は渡したものの回収に踏み切ったところもある▼これはとても悲しい事件だし、授業料を滞納した生徒や父兄らは経済的に苦労したに違いない。だが、この学校側の苦渋の決断はやはり正しい。公立でも私立でも、学校は授業料を基盤に成り立っているのであり、教師の給料も物理や化学の教材も生徒らが支払う授業料で購入するのが基本なのである▼ところが―日本のマスコミは、こうした不始末の責任は学校側にあるかの如き姿勢がかなり強い。こんな奇妙な記事が何処から生まるのか解らないが、大衆への迎合(ポピュリズム)だけが目立つ。市民らが平穏に暮らすためには、税金を払い警察の力を借りながら治安を守ることが大切だし、果たすべき義務は幾つもある▼授業料もまったく同じである。これを支払う見返りに歴史や英語などを教えてもらうのであり、ある種の契約と理解していい。従って滞納は契約違反なのであり、卒業証書を授与しないのもー当然の結論なのである。ここのところをきちんと見極めないと大きな過ちを犯すことになる。一時凌ぎの安易な「同情論」だけでは、建設的なものは何にも生まれない。 (遯)