ニッケイ新聞 2009年3月31日付け
愛人や恋人の絡みで首相の首が飛んだの話が騒がれるのは、ほんの20年ほど前からであり、政治家の色好みにはそれなりの逸話がある。あの田中角栄さんも、いささか叩かれたけれども、その影響力はちっとも衰えなかったし、政界の寝業師・三木武吉氏は選挙のときに敵陣営から「妾が3人―」と非難されると「いや、5人です」と演説し堂々の当選を果たしている▼あの宰相・吉田茂氏は、ちょっと肌合いが違うけれども、政界を引退後は、大磯の屋敷で愛人の小りんさんと仲睦ましく暮らしている。外交官から政界に転じ戦後の混乱を乗り切り講和条約にまで漕ぎ着けた手腕は凄いの一語に尽きる。新聞からは怨嗟され、記者が大嫌いでカメラマンに卓上のコップの水をぶっかけた猛者である▼先日、焼失した吉田邸は明治17年に養父が建てたもので木造2階、総檜造り数奇屋890平方メートルの豪邸である。敷地は3ヘクタールもあり、神奈川県が45億円の予算を投じて整備し一般公開するために準備しているところの火災であった。子どものときによく泊まったという孫の麻生首相は「残念」と語ったが、真に無念の実感しきりである▼戦後政治史の舞台であり、歴代の首相が「吉田御殿」を訪ね、大平正芳首相とカーター大統の首脳会談が行われた歴史もある。ワンマン宰相の吉田茂氏は皇室を重んじる「臣・茂」であり、紋付袴に白足袋で昭和天皇からの「鳩杖」を手にする姿は微笑ましい。その威風堂々たる木造の邸宅が姿を消したのは何とも惜しまれる。 (遯)