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63年目の訪問=負け組幹部襲撃犯=日高さん元DOPSへ=(下)=「臣聯との関係なかった」=皇太子あいさつに「無我の境地」

ニッケイ新聞 2009年4月8日付け

 一九四五年八月十五日、日本全面降伏―。この知らせを聞き、激しく動揺したのが当時推定三十万人といわれるブラジル日系社会だった。
 絶望に打ちひしがれたコロニアの大半が、敗戦を信じたくない「心情的勝ち組」だった。
 多くが農村に住んでおり、戦中の邦字新聞の刊行停止もあって情報が乏しかったことも手伝った。「ゼロ戦がブラジルに飛んでいる」「日本の戦艦がサントスに入港する」などのデマも横行し、認識派とも呼ばれた負け組と勝ち組の間に不穏な空気が漂い始める。
 四六年三月七日、初の犠牲者となる認識派の溝部幾太(バストス産業組合専務理事)が暗殺され、勝ち組テロの口火を切った。
 勝ち負け抗争が激化するのは、古谷重綱(元アルゼンチン公使)襲撃、野村忠三郎(元日伯新聞編集長)暗殺事件、通称「四月一日事件」からだ。日高さんは古谷重綱襲撃事件に関わった。
 この後、DOPSは臣道聯盟関係者約千二百人の大量検挙を行ない、うち四百人がDOPSに拘留されたが、大部分が数日中に釈放されている。
 古綱襲撃事件後、二カ月間潜伏した日高さんは六月二日、三人の仲間と脇山甚作(陸軍大佐、産業組合中央会理事長)のアクリマソン区にあった自宅に向かった。
 臣聯の創立に携わった脇山が『終戦事情伝達趣意書』に署名していたことから、「軍人でありながら、敵の謀略に乗せられている」というのが理由だった。
 四人は自殺勧告書を携えていた。その状況を「百年の水流」(外山脩著)から引いてみる。
 ―脇山大佐はソファーに腰を下ろして、勧告状を丁寧に読んでいた。四人は立っていた。読み終わった大佐に、自決を勧めると、「そんな気力はないよ」と答えたので北村が「じゃ、御免」と断り発砲した。日高さんも引き金を引いた。軽く目礼、立ち去ろうとして、大佐の様子を見ると、「こうして(片手を胸に辺りに持っていって)もがいていたので、こりゃ、いかん、苦しめてはいかん、ともう一発撃った」(三百八十六頁)
 日高さんらはその日のうちに自首した。
 終戦前の四五年七月に結成されていた臣道聯盟は、短期間で十万人―真偽のほどは定かではないが―という会員を擁する団体となっていく。
 臣聯が組織的に暗殺計画を遂行したというのは、DOPSの調書をもとに書かれた『移民八十年史』はもちろん、日本の小説や勝ち組を描いた本の定説になっている。
 「私も会員だったけど、命令されてやったわけじゃない。取り調べでも『命令されたといえば、罪が軽くなる』といわれたけど、そうじゃないんだから、言い様がない。調書は勝手に作られてメクラ判を押しただけ」
 前出の「百年の水流」で外山氏は、四七年一月にテロ事件の共犯として逮捕され、五年後に未決のまま出所した押岩嵩雄さんのインタビューを載せ、真相の究明に努めている。
 ―<特攻隊>ではなく<特行隊>である。臣道聯盟の下部組織でもない。全く別の団体である。(テロ事件のうち)サンパウロ事件(四月一日事件のこと=編集部注)は我々の特行隊がやった。臣道聯盟がやったといわれるが、臣聯は関係ない。この点を世間は完全に見誤っている(三百四十頁)。
 日高さんは「特行隊」の名称には首を傾げるが、臣聯との関わりはなかったと強調する。
 抗争に関わった関係者や無実の日本人が数年間収監されたアンシェッタ島で、臣聯の理事長だった吉川順治を「初めて知った」と話す。
 「みんな勝ち負けを理由に臣聯が組織的にやったって書くけど、事実はそうじゃない。日本が勝ったとは信じていたけど、何より日本と皇室の尊厳を侵すものを倒さなければという思いからだった。マスコミも先入観で書くからね。最近も(負け組新聞だった)パウリスタ新聞の記者が、勝ち組の襲撃を恐れて、机にピストルを隠していたって話を聞いて吃驚したよ。そんなこと思いもしなかったよ」
 外山氏は同書のなかで、事件と臣聯を結びつける証拠は出ておらず、大量検挙の面目を保つため、供述書を〃作文〃したのではないか、と推測している。
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 昨年六月二十一日にサンパウロ市サンボードロモ会場で開催された百周年式典。
 大スクリーンに映し出され、あいさつする皇太子殿下を見つめる直立不動の姿の日高さんがいた。
 「無我の境地、というのでしょうか。何万人もいたけれど、私一人に話してくれていると思った」。目頭に涙を浮かべながら、そう語った。(おわり、堀江剛史記者)

写真(上)=「この赤レンガは変わらないよ」。DOPSの建物の前で(3月20日)

写真=皇太子殿下の挨拶に聞き入る日高さん(右)、百周年会場となったサンパウロ市サンボードロモ会場で(2008年6月21日)