ニッケイ新聞 2009年4月10日付け
沖縄の伝統芸能として盛んなエイサー太鼓団体「琉球國祭り太鼓」(浦崎直秀代表)が発足十周年を祝い、五日、サンパウロ市のアニェンビー国際会議場で記念公演「島に戻(むどぅ)てい」を開いた。ブラジル、中南米各国から五百人が出演。二千五百人収容の会場はほぼ埋まり、割れんばかりの拍手が送られた。一九九〇年代初め、十六人だったメンバーは今、全伯各地に六百人。舞台で生徒、家族から祝福を受け、浦崎代表は目頭を押さえた。
沖縄でお盆に祖先の霊を迎える踊りとして伝わってきたエイサー太鼓。ブラジルでは九一年に母県を訪問した県系子弟らを中心に始まり、当時座って叩く「光史太鼓」の道場を開いていた浦崎さんが指導者に。九八年七月に母県のブラジル支部として活動を始め、今年十一年目を迎える。
十六人から始まったブラジルのエイサー太鼓。現在は国内各地に約六百人の生徒を数えるほどに成長した。大太鼓と片手で持つ締め太鼓、一糸乱れぬ踊りが一体となったパフォーマンスは、日系、沖縄系のイベントでもすっかりおなじみだ。
記念公演にはサンパウロ市を中心にブラジリア、カンポ・グランデ、クリチーバ、ロンドリーナなど国内各地、またメキシコ、ペルー、ボリビア、アルゼンチンなど中南米各国からも駆けつけ、約五百人が出演した。
二千五百人収容の会場はほぼ満員の盛況。ひ孫が出演しているという百五歳の上地マツさんや、今年百一歳の花城淑子さんなど高齢者も最前列で舞台を見守った。
開会式には与儀昭雄県人会長はじめ、ウィリアン・ウー、飯星ワルテル両連議、サンパウロ市議、協賛のレアル銀行などから多数の来賓も訪れ、ウー連議、サンパウロ市議会から浦崎代表に記念プレートが贈られた。
琉球舞踊協会の踊り手による古典音楽「かぎやで風」にあわせた太鼓演奏で幕開け。その後も踊り手と太鼓の共演、伝統的なエイサーのほか、沖縄民謡や「島唄」「かりゆしの夜」など現代の曲にあわせ太鼓と踊りが一体となった演目が舞台を彩った。
前半、後半の終わりには客席の間に子供たちが並んで演奏し、来場者からは一段と大きな拍手。
「光史太鼓」メンバーの若者たちによる演奏や、カンピーナスの獅子舞、県系バンド「トントンミー」の友情出演もあり、盛り上がった。
フィナーレに先立って生徒や家族から浦崎夫妻に記念品、花束が贈られ、浦崎さんが目頭を押さえる場面も。五時間におよんだ公演はカチャーシーで盛況のうちに終了した。
浦崎代表は現在七十九歳。五七年にボリビアへ移住、六一年からサンパウロに移り現在まで沖縄芝居や太鼓など郷土文化の伝承に携わってきた。
満員の会場で、「沖縄の太鼓がよくここまで広がってくれた」と喜びながら、「後の人が忘れないよう大きくしていきたい」とやる気を見せていた。
■祭り太鼓10周年=最初は「小禄バンド」から=家族3代のメンバーも
琉球國祭り太鼓の先駆けとなったのは、九一年に母県を訪問した小禄村(現那覇市)出身者の子弟たち。初めて本場のエイサーに触れ、浦崎代表を指導者にサンパウロ市ビラ・カロンで始まった。
名前は「小禄バンド」。初代メンバーは十六人で、当時はビデオなどを見ながら練習していたという。
同グループが活動を休止後、エイサーは九四年からビラ・カロンの日語校「おきなわ学園」に引き継がれ、現在に至っている。
祭り太鼓十周年の記念公演では、現在のメンバーに混ざって十数年ぶりに太鼓を叩き、会場から大きな拍手が送られた。
記念公演実行委員長の上原テーリオさん(41)もその一人。太鼓を叩くのは九一年以来という上原さんによれば、公演に備え一カ月前から練習してきたという。
「生徒や先生の見ている前で練習しましたよ。アニェンビーのような大きなところでやるからには『がんばろう』って」。汗だくになりながら「最高です」と笑顔を浮かべる。
同じく初代メンバーで、子供、そして今は孫が祭り太鼓をやっているという照屋敏光さん(59)は、「沖縄で見て、ブラジルでもできるんじゃないかと始めた。今まで続いて良かった。これからもブラジルで続いていくといいですね」と話していた。