ニッケイ新聞 2009年4月14日付け
IMF(国際通貨基金)は九日、ブラジル政府を同基金の債権国として公式に参加するよう招いたと十日付けエスタード紙が報じた。ブラジル政府は直ちに、金融危機でひっ迫する途上国経済を支援するため四十五億ドル以下を融資予定だ。
またIMFが発行する特別債券の引き受けにも、外貨準備高に手をつけることのない範囲で協力する意向をマンテガ財務相が表明。これはG20首脳会議で、ルーラ大統領が公約し同大統領の任期中に債権国入りを果たしたいと願ったものが現実となったのだ。
財務相は九日、五月一日に栄誉あるIMF債権国入りを果たすと声明を発表。これでブラジルは、IMF加盟国百八十五カ国中で財政が充実している四十七債権国の仲間入りをする。
ルーラ大統領は一九九九年、IMFは「無数の幼児を餓死させた大量殺人犯である」と罵った時代から見ると君子豹変。ブラジルは債権国入りで、途上国代表をIMFへ送り込むことへのG20の了承を得た。
途上国代表に続いて二〇一〇年四月までに、ブラジルはIBRD(世銀)改革を行う予定。IMFもIBRDも二次世界大戦の直後に結成され、創設の理念も当時のままである。そのため時代にそぐわないというのが、ブラジルの意見だ。
即時IMFへ出資金を払い込むのではなく基金の必要に応じて、ブラジルの引き出し権を供与することでIMF資産として計上する。従ってブラジルは、外貨準備高に手を付けることはない。
ブラジルはG20を機会に、債権国入りと外交の縄張りを広げた。金融改革ではヘッジ問題やタックス・ヘイブンで分相応の役目を果たした。さらに自由貿易の多国間交渉で座礁中のドーハ・ラウンドにもつなげる考えだ。
ブラジルは、外交の間口を広げた。国際問題を論じる国連委員会で三委員席を獲得した。一が金融安定委員会。二が金融管理委員会。三が証券委員会。ブラジルは、世界を改革するために忙しくなるようだ。