ニッケイ新聞 2009年4月18日付け
十日の菊 六日の菖蒲で真に恥ずかしく恐縮ながら陛下の金婚式について少々。あの「ご成婚」があった昭和34年4月10日の空は青く晴れ、若葉が繁り万朶の桜が咲き誇るいい日和である。儀式を終え皇居から渋谷の東宮御所に向かわれる9キロの沿道には55万人の群集が群がり熱き拍手と歓声を送り、儀仗兵に守られる馬車に乗る皇太子と白いドレスの美智子妃殿下は微笑みながら静かに手を振られる▼このパレードはテレビで実況放送され北海道や九州の人々も喜び、NHKのテレビは200万台と倍増し日本は「テレビ時代」に突入する。まだモノクロだが、力道山とシャープ兄弟の激闘にフアンは痺れ人気が沸騰した頃であり、戦後の新しい皇室の爽やかさと明るい姿に国民は心からの祝福をテレビの画面にぶっつけたものである▼軽井沢のテニスコートで芽生えた恋は、これまでの皇室の伝統を打ち破る破天荒なものであり、人々は驚きもしたが―大歓迎の声を張り上げた。昔からの仕来たりに従えば、皇族は5摂家などの華族から選ばれるのが慣例であり、皇太子が美智子さまのような普通の人と「恋愛」するのは極めて異例なのだが、この決断が国民と皇室とを接近させたのも事実なのである▼このご結婚には、皇太子の教育参与だった故小泉信三氏(元慶応義塾塾長)の力も大きく、美智子妃の父である故正田英三郎氏の「家柄が違いすぎる」の言葉も忘れまい。あれから50年。陛下と皇后さまは、皇居での式典に四十七都道府県から99組の金紺組を招きご一緒に乾杯の盃を上げたのはなんとも素晴らしい。 (遯)