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リオで花火の豪華ショー=フランス年の行事始まる=ミナスの反乱と重ねた式も

ニッケイ新聞 2009年4月23日付け

 チラデンテスの二十一日から十一月十五日の予定で企画された〃フランス年〃の行事が始まったと、二十一日付G1サイトや二十二日付エスタード紙などが報じた。
 「フランスの全てをブラジル全国で」をキャッチフレーズにした〃フランス年〃の企画は、〇五年の「フランスでの〃ブラジル年〃」への返礼で、〇八年十二月のサルコジ仏大統領来伯時に正式に発表されていた。
 一連の企画実現には、フランス側が、公的資金の他、ルノーやエアーフランス、プジョー・シトロエンなどの援助を受け総額一五〇〇万ユーロ、ブラジル側は、社会経済開発銀行(BNDES)やペトロブラス、郵便局などの協賛で、八〇〇万レアルを注入している。
 アマパーから南大河州までで六〇〇といわれた企画は金融危機のため半減したが、二十一日には第一弾として、リオ市ラゴア・ロドリーゴ・デ・フレイタスで華麗な花火ショーが行われた。
 リオ市といえばコパカバーナの大晦日の花火が有名だが、リオの夜空を三〇分間飾った花火は、フランスから招かれた花火師達によるもの。「コパカバーナとは一味違った花火をお見せする」と予告していた花火師達は、六回も現地を訪ねて準備していたという。
 一方、趣を異にするのは、ミナス州オウロ・プレット市で持たれたミナスの反乱記念式典。
 ミナスの反乱は、金鉱発見で沸いた同州の人々が、米合衆国独立や一七八九年のフランス革命の影響でポルトガルからの独立を画策。実行に至る前に計画発覚で、首謀者とみなされたチラデンテスが処刑されたものの、同州で火がついた独立への気運は、一八二二年の独立宣言へと繋がった。
 式典には、アントワーネ在伯フランス大使らも招かれたが、〃フランス年〃がチラデンテスの休日から始まったのは、フランス革命と、その影響を受けたミナスの反乱が、共に二二〇年の節目を迎えた記念だろう。
 両国外交官や企業家、運動選手らも参加した式典では、感謝表彰されたフランス人シェフのオリヴィエ・アンキル氏が「両国関係は今後ますます強固にされ、永遠に続く」と挨拶した。九月にはサルコジ大統領も再来伯の予定だ。