ニッケイ新聞 2009年5月5日付け
〇七年のサッカーブラジル選手権での敗北でセリエB(二部)転落の屈辱を味わい、塗炭の苦しみを乗り越えたコリンチアンスが、〇九年は、七二年のパルメイラス以来の負けなしのサンパウロ州選手権優勝の偉業を遂げた。
サンパウロ州選手権での全二三戦を、一三勝一〇分けの成績で終えたコリンチアンス。〇八年十二月のロナウド加入発表時には、同選手の回復と活躍への疑問もあったが、開幕後は、同選手の八得点など、予想以上の戦果を上げての優勝といえよう。
もちろん、優勝までの道のりは平坦ではなかった。〇八年のセリエBでの戦いは経済的にも厳しい状況下で繰り広げられた上、〇九年も支援企業が契約更新をためらい、広告なしのユニフォームを用意した試合も出るなど、監督も困難だったと言う程だ。
しかし、困難により鍛えられた選手達は、熱烈なファンや、W杯最多得点を誇り、豊富な経験を持つロナウドの加入とカリスマ性などにも励まされ、二六度目のサンパウロ州トップの座に五度目の無敗優勝で返り咲いた。
三日の最終戦は守りを固めたものの、前半二八分に背水の陣で攻めるサントスにペナルティキックによる得点を許した。
その後、アンドレ・サントスのシュートで一点を返し、引き分けで優勝を決めたコリンチアンス。最終戦を勝利で飾る事は出来なかったものの、試合終了と共に蹴球場は興奮の坩堝と化し、優勝杯授与の際、キャプテンのウィリアムが頭上高く掲げた優勝杯に舞い落ちた紙ふぶきが花火の火を呼び、演台が一時火に囲まれるというハプニングまで起きた。
報道陣に追いかけられ、蹴球場のファンへのお礼も満足に出来なかったロナウドが、チームにとっても自分にとっても大切な瞬間を共有できなかったことへの不満も漏らした程の喜びの日。クラブ本部での祝賀会にはもちろん参加したが、当初は一年契約と言われた同選手は、翌一〇年もこのチームでと考えているという。
クラブ創立一〇〇周年ともなる一〇年。会長はクラブの地盤を固める意味でも、来年こそは南米クラブ王者を決めるリベルタドーレス杯をとの抱負を口にし始めている。