ニッケイ新聞 2009年5月8日付け
地方日系団体に地殻変動が起きている――。傘下団体の実情視察と積極的な参加を説得するために、聖南西文化体育連盟(UCES)の山村敏明会長と、先の文協会長選挙で惜敗した小川彰夫氏らが連休中日の二日、一日で一千キロを走って六日系団体をまわる強行軍を行った。ピニャールに始まり、イタペチニンガ、タツイ、アヴァレー、イタポランガ、グアピアラまで。日本の本州に相当する広大な面積をもつサンパウロ州、中でも聖南西が担当する地域は広い。中心部のピニャールを出発点にして、奥地を回った山村会長。各地で悩みを聞きながら、ともに考える場として連盟の会議への参加を熱心に促してまわった。この地道な活動の様子をルポ形式で紹介する。
午前十一時半、三つ目のタツイ日伯文化協会に到着。サンパウロ市から西に百三十五キロだ。前庭には昨年の百周年を記念して有志が植えた桜の木が早々と花を咲かせている。
しっかりと鍵のかかった立派な会館に入ると、両側の壁には数え切れないぐらいの大小のトロフィーが並んでいる。
スポーツの種類を問うと、井上茂則会長は「野球部も四年前に解散した」と残念そうに説明した。タツイはかつて聖南西で何度も優勝した野球強豪チームを誇った。立ち並ぶトロフィーはその栄華を象徴している。
畳みかけるように「生徒が三~四人になって三年前に日本語学校がなくなった」という。立派な会館が博物館のようにみえてきた。地方の日系団体は今、大変な時代を迎えている。
大講堂に並べた机を囲む。檀征雄文化部長(前会長)も浜口宏郎副会長と顔を見合わせ、「会員は六十家族いるが、実際に活動に参加しているのは二十~三十家族だけ。もうあまり活動していない」と肩を落とす。
七三年創立、八一年会館完成と比較的新しい団体だが、その様子からはいかにも「最盛期を過ぎた」という言外のニュアンスが漂ってくる。
最大のイベントは、先週行われたヤキソバ祭りだ。九百グラムで十二レアル。夕方のわずか三時間で一千食を売り切ったというから凄い。ちょっと他では聞いたことのない数字だ。
元々は、十年ほど前から野球部の支援行事として行われていたが、現在は文協の重要な財源だ。今年から年二回にする話もでている。これ以外には、七月の運動会、ゲートボールが主要な活動となっている。
山村会長が「IPTU(土地家屋税)を払っているか」と聞くと、井上会長は「払っている。どうやって免税にできるか分からない」。山村会長は「UCESで議題にしてみんなで取り組もう」と呼びかけた。共益関係を築くのは一朝一夕にはできない。
聖南西の中心部ともいえるカッポン・ボニートからオザスコ周辺。そこから離れた地域の団体は距離の問題もあって、連盟の催しへの参加が少ない、もしくは事実上皆無の状態だ。その一つ目がタツイだった。
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同日朝八時、ピニャール文協からこの日は始まった。広瀬義夫会長、山下治副会長、田中得郎教育担当理事、徳久俊行モデル校運営委員が応対、しばし談笑した。一月に就任したレジストロ在住の山村さんは、早々に傘下二十四文協を全て回ろうと今回のような訪問を繰り返している。
二つ目はイタペチニンガ文協(サンパウロ市から百七十キロ)。高田洌(きよし)副会長は「二十五年前には百二十人いた日本語学校生徒が、今では三十人を切るほどになった」と残念そうに言う。かと思えば「老人会は九十人に増えた」と加藤憲造会長。ここでも団体構成員の高齢化が顕著だ。(つづく、深沢正雪記者)
写真=タツイ文協で。(写真右)左から檀文化部長、小川氏、山村会長、運天会計理事、浜口副会長、井上会長
イタペチニンガ文協で。左から3人目が加藤会長、4人目が高田副会長