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マナウス最大の花屋さん=フローラ・トロピカル=永井啓以さん「品質が信用に」=バラのシェアは市内半数

ニッケイ新聞 2009年5月30日付け

 【マナウス発=堀江剛史記者】一九六七年のゾナ・フランカ設置以降、発展を続けるマナウス市。約百八十万人にまで膨れ上がった大都市の生活に潤いを与えるのはやはり花。市内に流通する半数のバラを扱う『フローラ・トロピカル』(Flora Tropical)は市内最大手かつ日系唯一の花屋さん。経営者の永井啓以(けい)さん(56、山形県)は、「誰にも負けない気持ちでやってきたからね」と話す。移住地生活で鍛えた肝っ玉母さんの奮闘を聞いた。

 啓以さんがブラジルに移住したのは、わずか一歳三カ月。一九五四年あふりか丸の入植二十九家族の笹原俊雄・京子夫妻の長女として、ロンドニア州ポルト・ベーリョ市近くのトレーゼ・デ・セテンブロ移住地(旧グァポレ移住地)に入植した。
 もちろん日本や移住当時のことは覚えていない。しかし、物心ついてからは、家事や農業を手伝い、家族の開拓生活を支える一員になった。
 「父がブラジル人の保証人になったりして、大変でしたよ」と当時の苦難の生活を振り返る。
 それでも両親は教育には熱心だった。ポルト・ベーリョの大学を卒業。その後、「ゾナ・フランカやセアーザもでき、景気が良かった」ことから、七五年に単身マナウスへ。
 移住地での農業経験を活かし、約八年間、野菜の卸し業に従事。その間に家族も呼び寄せた。
 七七年にはマナウス対岸にあるカカウ・ペレラでグァラナ栽培を行なっていた永井勝弘さん(愛媛)と結婚、三人の子宝にも恵まれた。
 仕事は順調だったが、「政府の統制もあり、価格が不安定」だったことから、商売替えを考えていた。そんな時カンピーナスから来ていた苗業者から「これから花が売れる」と勧められた。
 当時、マナウスは経済発展がめざましく、市内各所でアパートの建設も始まっていた。
 考えた末に一念発起、八五年には市内高級住宅街に花屋を開けた。
 「とにかく気をつけたのは品質。他店の四倍の値段をつけたときには、苦情もあったけど、いいものだけを扱っている自信があったから」。それが徐々に信用を得、市内でも評判になっていく。
 アマゾンの熱帯花卉を生かしたデコレーションをメインに据えたのが受けた。パーティーや結婚式で大受けし、注文が殺到した。
 「うちの予定を聞いてから、式の日取りを決める夫婦もいるのよ」。最近では、州知事の娘が十五歳を祝う誕生パーティーでも飾り付けを担当した。
 本店のほかショッピングセンターにも出店、市内流通の半数を扱うバラは週二百ダース。サンパウロ州アチバイア、コロンビア、エクアドル、ボリビアからも取り寄せ、今年の母の日には、百五十ダースを販売した。
 昨年は悲しいことも。夫の勝弘さんが四回目の出馬で当選、イランドゥーバ市の副市長になったが、その二週間後に癌で亡くなった。六十三歳だった。
 「借金なんかもあってね…大変だったですよ」選挙活動を支えてきたのも啓以さんだった。勝弘さんの死もあって、今年USPを卒業した長女のサナエさんがマナウスに戻り、家業を継ぐ予定だ。
 「今年の末には任せようと思っているだけどね。私? もちろんまだまだ働くわよ」。大輪の笑顔が広がった。