ニッケイ新聞 2009年6月4日付け
世界史的に稀な状況を経て生まれたブラジル日系社会は、世界においてどんな存在なのか。世界の全日系人口におけるブラジル日系社会の割合から、その存在意味を推し量ってみたい。
海外日系人協会サイトによれば、平成十六年(〇四年)現在で全世界の日系人数は約二六〇万人だ。「海外日系人」の定義は「日本から海外に本拠地を移し、永住の目的を持って生活されている日本人ならびにその子孫の二世、三世、四世等で、混血は問いません」となっている。
二六〇万人といえば、日本で例えれば四十七都道府県中で十三位の京都府(約二六四万人、〇五年時点)の次に位置する規模だ。
その中で、ブラジルだけで約百五十万人と言われているから、全世界の六割を占める最大の日系社会だ。日本で例えれば、二五位の山口県が一四九万人(〇五年)だから、ブラジルだけで中規模都道府県と同じ規模を持っている。
二番目は米国の一〇〇万人、三番目は日本の三五万人だ。
在日日系人のうちブラジル日系人が三一万人を占めていたが、昨年九月からの世界同時不況により、三万人が帰伯したので、今現在でいえば二八万人となる。これは、九〇年の改正入管法の施行以降に起きた二十年のデカセギブームの結果だ。
その次、四番目が藤森アルベルト大統領を輩出したペルーの八万人、五番目はカナダの六万八千人、六番目はアルゼンチンの三万二千人、七番目はオーストラリアの二万人、八番目がメキシコ、以下、パラグアイの七千七百人、ボリビアの六千七百人などと続く。
これは一四〇年前の開国以来、より良き生活を求める日本移民の流れがもたらした結果だ。明治政府の急激な富国強兵策を支えた重税などにより、農村を追い出されるように海を渡った。欧州移民から遅れること一世紀を経て、知らず知らずのうちに世界の資本主義化の波にのせられて新大陸へ運ばれた。
世界の全日系人の六割を占めるという意味で、ブラジルの存在は実に大きいが、本人はあまり意識してこなかった。
『四〇年史』や『七〇年史』、『八〇年史』の中でも、世界におけるブラジル日系社会の立場や責任を説明する文章は出てこない。
「世界の中の日系人」という横のつながりは、海外日系人大会に出席する各国の主要団体代表者の個人レベルで止まってしまい、コミュニティ一般レベルの視点とはならなかった。ブラジル代表者も決議内容を帰伯後にコミュニティに発表し、再検討して翌年の日系人大会で再討議するようなことはほとんどなかった。
汎アメリカン日系人大会も二年ごとに持ち回り開催しているが、昨年のブラジル大会同様、一般を巻き込むものではなかった。
でも、世界で三番目の日系人口を誇るのが在日コミュニティとなり、その九割をブラジル人が占めている現在、国境を越えた日系社会のあり方を考えるべき時期になってきている。
日本人を先祖とする百五十万人の大集団という意味の一つは、規模のメリットだ。他国の多くではこれだけの規模が持てなかったために、二世代目から混血しなければ子孫を残せなかった。その結果、三世世代で日本語や日本文化を失うことが日常的に起きてきた。
もちろん、混血は当然であり不可避だ。しかし、規模のメリットによって純血が維持されることには、世界的に珍しいという価値がある。
ブラジルでは容易に日系人同士の婚姻が可能であり、だからこそ、昨年の百周年で脚光を浴びた大西エンゾ優太くんのように純血六世という存在が生まれた。六世で純血であることは、四世世代で六二%が混血する(一九八八年人文研調査)という現状に置いて奇跡と言っていい。
ブラジル日系社会は、世界において特別な存在であることをもっと自覚しても良い。歴史的にも地理的にも、世界のどこにもない規模と質がここにはある。当地の日系社会を論じる場合、すべての前提となる重要な一点だ。
世界の日系人の模範となれる何かが、ブラジルではできるかもしれない。そう信じて今後の戦略を立て、歴史にその存在を刻むことは無駄にはなるまい。(つづく、深沢正雪記者)