ニッケイ新聞 2009年6月5日付け
今回アマゾン取材した中でも、グアマ植民地の話は別格だった。川べりの標高ゼロ地帯のために水位の上下で農地が水面下に沈んだり、医者がいない中で九割がマラリアに罹患、大半が脱耕したところだ。日本政府が一九五五年からの約二年間で百二十五家族もの米作移民を送り込んだが、〇七年現在わずか十九家族▼五七年に入植した大江牧夫さんは移住失敗の最大の原因は、「調査しないまま移民を入植させたこと」だと指摘する。五八年にようやく調査団が来伯し、米作不適地と結論を出した。こんなことがつい五〇年前に起きていたと考えること自体、通常ありえないことだ▼一方、同地入植者と話していて「アマゾン開拓のロマン」という熱い想いを語る人に何人も出逢った。彼らに共通しているのは個性が強い点だ。それぐらいの気負いのある人でなければ、同地での開拓生活には耐えられなかったのかもしれない▼そんな折りに、アマゾン八十周年式典への皇室のご来伯が絶望的になったとの報を聞いた。「本当に無念…」と残念がる声を方々で聞いた。中でも、ある戦後移民男性は「アマゾンにはドミニカよりもっと酷い場所に送り込まれたところもあった」と前置きし、「やっぱり見捨てられたみたい。去年は来るという話だったのに…」と悔しそうな表情を浮かべたのが印象的だった▼日本からの報道で、少ない人数で皇室外交をこなすのは大変だと、みな頭では分かっているが、それだけ皇室への想いが強いということだろう。かくなる上は外務省の健闘に期待し、地元が納得するような「代わるぐらいの人」を是非とも連れてきて欲しい。(深)