2009年6月20日付け
日本社会はブラジルと異なり、民族や生活様式に関して高い同質性を持っている。アングロ・サクソン系の国のように、求心力が強く、少数民族を拒むような体質がある。
このような社会の特質は不変なものなのか? 在日ブラジル人との関係に変更があることを期待できるのか?
それは在日ブラジル人の側の態度にもよるだろう。在日ブラジル人子弟の多くが不登校の被害者となり、ふさわしい教育が受けられないでいる。
彼らの多くは混血で、日系顔をしていない。その多くが日本に居続けると予想されるが、明るい将来が待っているのだろうか。日本社会から差別され、〃burakunins(部落人)〃のような少数グループを形成するのではないか。
日伯の人的な絆は、百年前にブラジル移住してきた日本移民から始まり、今では在日ブラジル人がその一翼を担っている。
この側面は、女性外交官のマリア・エジレウザ・フォンテネリ・レイス氏の論文「在日ブラジル人(双方向の人的絆)」の中で、〃operarios da amizade(友情の職工たち)〃としてよく記述している。
この表現は、フェルナンド・エンリッケ・カルドーゾ大統領が九七年に訪日し、皇室訪問した際にも用いられた。
フォンテネリ・レイス氏が「公式関係において緊密度が最も低い時期」と表現する、ブラジルの〃失われた十年〃(一九八〇年代)と日本のバブル崩壊(九〇年代)という二十年を越えて、この人的交流の重要性はさらに増してきている。
宮尾進氏が「ブラジルにおける日本文化の生き残り」についてあちこちに書いているが、デカセギ現象は日本文化の再活性化と革新という意味で、大きな貢献をもたらす可能性を秘めている。
帰伯者の一部は、完全に日本語を自分のものとし、二宮正人氏が書くように通訳などとして活躍している。
ブラジルの日本移民史は必ずしも肯定的な部分だけではなかった。臣道聯盟現象のような否定的な事実もある。それにも関わらず、移民とその子孫は、多くの犠牲を払い、勤勉さと誠実さをもって子弟教育に尽くし、ブラジル社会の一部分である、今日の日系社会を築いてきた。悲観的な考えであり、一時的だとは思うが、宮尾氏が繰り返して書いてきていることに賛同する。
最後に特筆しておきたいのは、在日ブラジル人労働者は、日本文化を受け入れると同時にブラジル文化を普及するという、非常に重要な役割〃友情の職工たち〃を果たしてきている点だ。
例え、全面的にそうではなくとも、彼らがそのような使命を持っており、重要な役割を果たして活動中であることを認識すべきだ。
今後、在日ブラジル人が日伯をつなぐ固定軸としての役割を果たすことから鑑みれば、両国政府による決定的な支援が必要であることは、最も基本的な重要事項である。 (おわり)