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スローフード体験記=マンジャーレな一日=連載《上》=レストラン経営サウロさん=「新食材の普及を」=モジ椎茸農家を訪ねて

ニッケイ新聞 2009年7月1日付け

【スローフード】伝統的な食生活を見直し、農業者を守り、消費者の食に対する意識を高める啓蒙運動。日本では広義に有機農法による食材を指すこともある。八〇年代にイタリアの首都ローマの広場にマクドナルドが出来たことから、国民が伝統的な食や農家を守ろうとした運動が始まりともいわれる。

 「食べ方があまり知られていない食材を広めたい」―。サンパウロ市ヴィラ・マリアーナ区でイタリアンレストランを経営するシェフ、サウロ・スカラボッタさん(43、イタリア・ウンブリア州出身)は、「スローフード」の提唱者。常に新しい食材を探求、日本で働いた経験から日本食材にも高い関心を寄せる。六月二十七日、レストランの常連客たちとモジ・ダス・クルーゼス市で椎茸栽培を行なう日系農家を訪ね、採れたての食材を自然のなかで楽しむピクニックを企画した。参加者らは、マンジャーレ(イタリア語の動詞「食べる」)な一日を楽しんだ。(堀江剛史記者)

 朝八時過ぎにサウロさん経営のレストラン『Fricco』(Rua Cubatao 837, 11-5084-0480/0415)に集合した参加者らは約四十人。様々な種類のスイーツ(お菓子)とエスプレッソカフェを楽しみながら、出発を待つ。
 四百七十銘柄、三千五百本を所蔵する専用のワイン貯蔵庫から、参加者は、それぞれ好みのワインを購入、バスに乗り込んでいく。
 コーディネーターのアンドレアさんによれば、すでにサウロさんら調理を担当するコックたちが現地で準備を行なっているという。道中、自家製パンにトマトとひき肉を挟んだサンドイッチが配られる。
 一時間弱でモジ・ダス・クルーゼスの米村農場に到着。出迎えた農場主の米村孝さん(69、熊本)はロンドリーナで農業を営んでいたが、モジに転耕。
 トマト作りなどを経て、十二年前から椎茸栽培一本に切り替えた。
 ほだ木に使う木材は以前、ユーカリを使っていたが、現在は九七年から植え始めたクヌギを使用。九千本を精魂込めて育てる。
 説明によれば、クヌギを一メートルほどに切り、菌を打ち込んだ後、一カ月以上、野外に置き、菌糸の繁殖を待つ。
 その後、冷水に丸一日浸けると、数日後に椎茸が生える。「二十七度以上になると駄目」というから、温度管理が重要だ。
 この工程は五回ほどくり返すことができ、「ほだ木は一年半から二年はもつ」(米村さん)。
 元来、椎茸の菌の自然発生地は、奄美大島のみ。風に乗った菌を待つのみの〃バクチ農〃だった。
 椎茸栽培の普及に情熱を燃やした森喜作博士(一九〇八~一九七七)が将棋の駒から発想を得、椎茸菌をつけた種駒をほだ木に打ち込む手法を生み出し、椎茸栽培が普及している。
 参加者らは倉庫へと歩を進めた。井桁に積まれたクヌギからニョキニョキと生えている椎茸に感嘆の声を上げ、写真を撮る姿も見られた。
 椎茸狩りを楽しみ、お土産用に購入する参加者の列もできた。
 隣接地で菌床栽培を行なう大野金四郎さん(66、愛媛)の農場も訪問。大野さんの説明によれば、米ぬかなどを混ぜたおがくずを殺菌、ビニール袋に入れ、種を入れる。二カ月ほどで表面が白くなったら収穫可能だという。
 「最初の投資は大変だが、効率良く収穫できるのが魅力」だという。
 米村、大野さんともに平均で月に五百キロを出荷している。 (つづく)

写真=(上)「可愛いですよ」―。いとおしそうに椎茸を眺める米村孝さん/〃パネトーネ〃(菌床)栽培の説明をする大野金四郎さん