ニッケイ新聞 2009年7月2日付け
人口十一万人の町が、この時だけはマナウスや近隣からの観光客や参加者で八万人も増えると言われるアマゾンの奇祭「牛祭り」(ボイ・ブンバ)。六月二十六、二十七日、二十八日の三日間にわたり、午後九時から開始され、ガランチードは「感動」、カプリッショ―ゾは「緑と青が出会うところ」をテーマにそれぞれ二時間半の間、熱狂的に演じた。約三百五十人の打楽器隊が叩きっぱなしになり、その強烈な打音が会場中にこだまする中、司会者役と歌手の声がひっきりなしにスピーカーから流れ、ワニ、ガルサ、豹、樹木、聖母マリア、インディオ、そして主人公である牛が縦横無尽に舞台を動き回った。全ての登場人物にインディオ伝説などの隠喩が込められ、物語を織りなしていく。なかでも、各晩五つも登場する巨大な山車が動くのに反応する応援団(brincantes)の声援が相まって、強烈な陶酔感が会場中に広がり、深夜三時近くまで祭りは続いた。今年の勝敗は二十九日発表され、昨年までに二連勝していたカプリッショーゾを退け、ガランチードが飾った。
写真=カプリッショーゾ2日目の山車の様子。ワニなどの動物がみな動いている
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会場には、F1パイロットのセナの元彼女として有名になったアドリアーネ・ガリステウ、リオのサンバ界を代表するネギーニョ・ダ・ベイジャ・フロールなど有名人も姿を見せたほか、日本人の姿もちらほら見られた。
マナウスに工場のあるホンダ・ド・ブラジル社は、この祭りの公式スポンサーの一つだ。真っ赤なTシャツを着た同社の大久保進マリオさん(55、二世)は、「ブラジル文化振興のために、二十年前から協力させてもらっている。弊社は環境問題を重視しているので、アマゾンの大自然を礼賛し、伝統を守るこの祭りはまさにうってつけの素晴らしいもの」と声を弾ませる。
写真=ホンダ・ド・ブラジルの大久保進マリオさん
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来年結婚する予定のジュリアナさんを同伴して、サンパウロ市ヴィラ・マリアーナ区から観光に来ていた横畑武田勇造さん(38、三世)は、「初めてきた。こんなに素晴らしいものだとは思わなかった。リオのカーニバルも見に行ったが、こっちのほうがもっと迫力があってすごいよ」と興奮した様子。
「カボクロの歴史、インディオの伝説などブラジル独自の文化だけでここまでやっていることがすごい。ここまでやってくるのが遠くて大変だが、その甲斐があったよ」
写真=横畑武田勇造さんとジュリアナさん
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会場には大阪から新婚旅行にきている日本人夫婦もいた。夫の南山透さん(35)は「新婚旅行にアマゾン行くと言ったら、友だちから物好きですねと言われました」と笑う。聞けば、初のブラジルで、二日目にはこの奇祭会場にいるという。
舞台と観客席が一体に=ブンボードロモ会場
野球場ぐらいの大きさのブンボードロモ中央部が舞台。それを取り巻くようにぐるり観客席が作られ、一番舞台に近いかぶりつきは観光客、二階席は応援団が占める。
観客席は左右にきっちり分けられ、片方がガランチード、反対側がカプリッショーゾの専用席となる。その中間に入退場門がある。
牛祭りのルールでは、相手チームが演じている間は、踊ったり叫んだり邪魔してはいけない。もしそうすると審査員が減点し、相手に益することに。その代わり、自分のチームが始まると歌うわ、踊るわ大変な騒ぎ。舞台と完全に一体になった踊りをする。サンパウロ市やリオのサンバ会場でも踊ったり歌う姿は見られるが、チームとの一体感は牛祭りの方が遙かに上。あれは客席ではなく、舞台の延長という雰囲気だ。
会場正面には日本庭園=上塚司の胸像立つ
上塚司氏(一八九〇~一九七八)は、国士舘高等拓殖学校を一九三〇年に設立した。同年、アマゾンを視察後、翌年から同校卒業生を実業練習生として、新天地に送り込む。ヴィラ・アマゾニアで一年間の実地訓練を終了したものが「高拓生」と称された。
三二年、日本に財団法人「アマゾニア産業研究所」、三五年に「アマゾニア産業株式会社」を設立。翌年には、「アマゾニア産業」(ブラジル側)の社長に就任し、ジュート栽培に取り組む。戦後アマゾン日本人移民の再開に辻小太郎とともに尽力するなど、その一生をアマゾン開拓の夢に費やした。
この胸像は高拓生OBらによって一九八一年十月に建立された。上塚氏の経歴が正面に、側面と背面には各派遣年ごとの氏名が刻まれている。
また庭園内には、東洋風の東屋も立てられている。
写真=ブンボードロモ正面にある日本庭園には、上塚司の胸像が建立されている
ワイヤーで動く、動く=動物の手足が全て手動で
牛祭りの名物は、巨大な山車の動物がまるで生きているかのように、手足を動かすことははもちろん、顔の表情まで表すことだ。
これは内部に作った滑車とワイヤーのからくりにより、中に隠れた人たちが手動で動かす。一晩で二百五十人もがこの裏方に回るという。
山車の広さは六百平米もあり、その上に高さ二十メートルもあるようなワニ、サル、蛇、フクロウなどが作られ、内部操作で手足や顔が動くようになっている。
この技術は全伯で最も優れており、パリンチンスの職人がリオやサンパウロ市のカーニバルの山車つくりに出張していることは有名な話だ。一説には約七十人もの職人が毎年三~六月はパリンチンスの山車を作り、その後はリオやサンパウロ市に赴く〃デカセギ〃生活だという。
写真=観客席まで覆い被さるぐらいにせり出してきたガルサの山車
牛祭りは復活の物語
牛祭りのモチーフは、次のような素朴な物語だ。牧場の主が可愛い娘(Sinhazinha)のために買ってあげた素晴らしい牛がいた。その牧場の牧童(Pai Francisco)の妻(Mae Catirina)が妊娠し、「どうしてもあの牛の舌が食べたい」と執拗に夫に求め、牧童はしかたなく牛の舌を切り、殺してしまう。娘が悲しんでいる様子を見た牧場主は、町中に手配して牧童夫婦を捕まえようとする。逃げまどう同夫婦はインディオの祈祷師(Paje)にお願いし、あらゆる祈祷を捧げて、その牛を甦らせ、最後は全員が幸福になる、という復活の物語だ。このストーリーを演出を変え、テーマを加えて毎年演じる。