ニッケイ新聞 2009年7月2日付け
【パリンチンス発=深沢正雪記者】アマゾナス州都マナウスから下流へ四百キロにある小さな島にある町パリンチンスを舞台に、毎年六月の最後の週末(金・土・日)に行われる奇祭、牛祭り「ボイ・ブンバ」が世界的な知名度を得つつある。州政府観光局の招待で六月二十七日に同祭り(正式名称=第四十四回パリンチンス民俗祭)を取材した。インディオの伝説と北東部の民話が入り交じった幻想的な民俗オペラだが、二〇〇六年には一足早く日本移民百周年やアマゾン入植八十周年を顕彰して、ジュート(黄麻)を持ち込んだ高拓生ら日本移民をテーマにした舞踊も創作・披露されていたことが分かった。その時の話を美術監督から詳しく聞いた。
九九年からガランチード・チームの美術監督をするジュニオール・デ・ソウザ氏(39)は、祭りの真っ最中の超多忙な中を割いて取材に応じた。
「今でもこの辺でジュートで生計を立てている人は多い。それを持ち込んでくれたのは日本移民だ。つまり地域住民に富をもたらした。それに対する地域からの百周年顕彰としてやったんだ」
この祭りは町住民がガランチード(赤)、カプリッショーゾ(青)の二チームに分かれて、それぞれが約二時間半の舞台を三晩に渡って披露し、その創造性や祝祭性を競い合うもの。
各晩別々の出し物が行われ、それぞれに巨大な山車が五台出る。各晩、各チーム約一千五百人が出場し、約三万五千人収容の観客席を二分する応援団と一体になった演技を披露する。
〇六年のガランチードのテーマは「Terra, A Grande Maloca(大地、大きな集落)」。パリンチンスの対岸にあるヴィラ・アマゾニアへ高拓生が入植し、尾山良太氏が現地に適応したジュートの苗を見つけ出して栽培を成功させ、地域に広げる物語を、約三十分かけて象徴的に演じた。
ソウザ美術監督は「高拓生の歴史の調査、山車の製作、踊りの創作など、合わせて六カ月に渡って準備したよ。踊りだけで三カ月だ」と振り返る。もちろんジュート栽培の先駆者・尾山氏の像も山車の上に大きく作られた。
「山車の上には百人以上が乗った。まずは日本的な建物、ヴィラ・アマゾニアに作られたものを再現し、その後にアマゾンの光景に移った。その様子は、テレビで全伯に生中継されたんだ」。
結果、見事勝った。当日は、パリンチンス日伯協会も参加・協力し、日本からテレビ局が取材に来たという。
なぜアマゾンの奥地にこのような盛大で独自な祭典が発展したのか。同美術監督は「コラソン・ダ・アマゾニア(アマゾンの心臓)を舞台にこんな大きな祭りが行われていることに今、世界の人が気付き始め、驚いている。ここの産業はアルチ(芸術)だ。なぜこのように発展したかは我々にも分からない。サンゲ(血)の一部だ。神が我々に与えてくれたものなのだろう」と説明した。
今年二月、お隣のパラー州都ベレンのカーニバルでも、アマゾン入植八十周年をテーマにサンバチームがパレードしたことは記憶に新しい。
リオで生まれたブラジル文化サンバに加え、アマゾン地方独特の民俗祭でも日本移民が顕彰されていたことが分かり、いかに幅広く地域から注目され、敬意が持たれているかが明らかになった。