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なぜ起きた護憲革命=ヴァルガス政権VSサンパウロ州=憲法擁護の歴史振り返る=連載(上)

ニッケイ新聞 2009年7月15日付け

 七七年前、革命の志を胸に戦いの最前線に赴いた青年や、背後の守りに衣類や食料調達、看護にと走り回った少女が、今も集い昔を偲ぶ。そんな営みがサンパウロ市イビラプエラ公園で今年も持たれた。
 サンパウロ州では護憲革命記念日で休日の九日、イビラプエラ公園での行進参加者は約一三〇〇人、道沿いの集まった人達を合わせれば約二〇〇〇人が、一九三二年の護憲革命を偲んだと十日付伯時紙が報じているが、なぜこの護憲革命記念日がサンパウロ州だけの休日なのだろうか。
 護憲革命の伏線は一九二九年の世界恐慌。サンパウロ州出身のワシントン・ルイス大統領の政権も経済的大打撃を受けたが、そんな世相の中、翌年の大統領選後継者に、ミナス州の候補ではなく、サンパウロ州のジュリオ・プレステスが指名された事で、富と人口の多さで国内を席巻し、カフェ・コン・レイテと呼ばれる政策を共同で進めていたサンパウロ州とミナス州間に溝が生じた。
 後継者指名争いに負けたミナス州は、同年九月にサンパウロ州と袂を分かち、南大河州やパライバ州と、ジェトゥリオ・ヴァルガス支援を前提に自由同盟と呼ばれる組織を結成。
 翌三〇年三月の選挙では、一七州と連邦直轄区を抑えたプレステスが当選したが、自由同盟は、同年七月に起きたヴァルガス陣営の副大統領候補殺害を口実に、この選挙は不正だと批判した。
 この抗争は、十月二十四日の軍によるルイス大統領追放、十月三日の自由同盟による武装蜂起に発展。ヴァルガスは軍の支援で、十一月三日に大統領に就任した。
 伝統的な大農園主を支持基盤に持たないヴァルガス政権は軍政下、青年将校や都市中間層、労働者に支持基盤を求め、ルイス大統領やプレステスとその支持者らの国外追放、報道機関閉鎖や憲法放棄の暴挙に出た。また、中央集権化のため、将校を執政官として派遣して州政にも干渉した。
 サンパウロ州では、執政官派遣への不満やプレステス大統領就任妨害への反発、新憲法制定を求める動きが、一九三二年のサンパウロ市創立記念日のセー広場での大集会に発展。二〇万人の大集会以後、憲法擁護を訴える人達は集会を重ね、憲政議会開催を求める声も高まっていった。 (つづく)