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グァタパラ移住地=47年の節目祝う=第32回慰霊祭も粛々と=川上会長「協調大事に移住地つなげ」

ニッケイ新聞 2009年7月16日付け

 一九六二年の初入植から四十七年目の節目を迎えたグァタパラ農事文化体育協会(川上淳会長)は、「入植四十七周年祭・収穫祭」を十一、十二の両日、同文協会館ほか会場で祝った。在聖総領事館の鎌倉由明領事、ブラジル日本文化福祉協会の山下譲二副会長、JICA聖支所の千坂平通支所長、ブラジル日本都道府県人会連合会の園田昭憲副会長、南米産業開発青年隊協会の盆子原国彦会長、協賛企業レアル銀行の清水オリジオ取締役、グァタパラ市のサミール・レドンド市長ら多くの来賓が訪れ、共に祝った。

 グァタパラ移住地は一九六二年、十二家族七十三人がJICA(当時海外移住事業団)の直轄移住地として造成。山形、茨城、長野、岡山、島根、山口、佐賀の七県を中心に百六十四家族が入植、現在は約百三家族が生活している。
 式典に先駆け、拓魂碑のあるモンブッカ墓地でジョジレイ・アパレシーダ神父により、慰霊祭が執り行われ、約五十人が参加した。
 この碑は、グァタパラ耕地にコロノとして働いた笠戸丸移民の無縁仏を弔うため、入植十五周年記念事業として七七年に建立されている。
 川上会長は、三十二回目となる慰霊祭にあたり「先駆移民は縦糸、我々は横糸」と例え、これからも歴史を〃編み上げて〃いく思いを協調した。
 来賓らがそれぞれ献花、焼香を行ない、先人の遺徳を偲んだ。
 続いて会館では、入植四十七周年式典が行なわれた。
 国歌斉唱後、川上会長は、「協調、連帯を大事にすれば、移住地も続く」と挨拶、「日伯間の懸け橋になるような人材を輩出できるような移住地作りを目指していきたい」と話した。
 南米開発青年隊協会の盆子原会長は、第一陣入植前に隊員らが造成事業に携わったことに触れ、「グァタパラで嫁さんをもらった隊員もおり、会合ではいつも思い出話が出る〃第二の故郷〃」と位置付けた。
 レドンド市長は「日系コロニアは宝」と力強く話し、「来年からは市の行事カレンダーにも登録、市としても入植祭を盛り上げていきたい」との協力姿勢を見せた。
 式典後にあった演芸会では、地元グァタパラの太鼓グループ、アチバイア、カンピーナスなど近隣コロニアの出演者が日頃の練習の成果を披露、サンパウロからは大正琴の琴聖会の参加があった。
 食堂では、婦人部が焼きそばやテンプラに腕をふるい、弁当は五百個を用意。そのほか有志らによるパステルや餃子のバンカにも列ができた。
 六三年から約六年間、同移住地で過ごした元南米開発青年隊の小山徳さん(69、長野)は、「入植祭に来ると懐かしい顔に会えるのが嬉しい」と笑顔を見せていた。

移住地挙げた農産展=生徒、婦人らの作品も

 敷地内にある体育館に設けられた展示会場では、日本語学校の絵画・習字作品、婦人会メンバーらによる俳句、生け花、手芸作品など約百五十点が注目を集めた。
 バナナ、ポンカンなどの果実、穀物、蔬菜、鶏卵など約二百五十点が農産品で展示・即売され、両手に抱え会場を後にする姿も多く見られた。
 この農産展は出品数が減ってきた二十年ほど前に、文協農事部が生産者に種、堆肥、ボカシ、炭などを無料配布し、〃一坪菜園〃を推進するアイデアを提案。
 企業の後援を得た品評会も開き、現在では、ほぼ全家族が参加、収益は入植祭運営の費用に当てられている。
 農事部長の林良雄さん(58、茨城)は、「準備で大変だが、みんなに喜んでもらっている」と話しながらも、対応に追われていた。