ニッケイ新聞 2009年7月17日付け
日系初の空軍総司令官に上りつめた斉藤準一大将に、十分間ほど取材する機会があった。途中、私が質問するポルトゲースの下手くそさに見かねて、「日本語で質問したらいい」と言ってくれた。普通はそれを理由に取材を打ち切られそうなものだが、逆に助け舟を出され、有難くて涙が出そうになった。もちろん返答はポ語で返ってきたが▼今では日本語の講演会もこなす植木茂彬氏も、鉱山動力大臣時代に訪日した時は、あえて通訳をつけ、片言もしゃべらなかったというのは有名な話だ。かつて日系人がブラジルを代表する立場の時は、人前で日本語を使わない時代があった▼今はグローバル化のご時世であり、エリートが人前で英語、スペイン語をしゃべるのはカッコ良い時代だ。日本語も日系人の国際的素養の一つとして認められつつあるだろうが、斉藤大将のとっさの気遣いには、記者として痛み入るばかりだ▼かつて大将の妹のルーシーさんから「兄は十二の巻まで終えて邦字紙を読んでいた」とも聞いた。エライ日系人の大半は日本語とは縁の遠い世代になりつつある中で、数少ない日本語理解者だ▼桜の植樹をした際、大将はエンシャーダを手にした後、「昔はこうやってアメンドインの種を植えたんだよな」と懐かしそうにプランタデイラを動かす仕草をしていたのが印象的だった▼福島県人会の元会長・桜井仁さんは、斉藤さんが十七歳でサンパウロ市在住の頃、一緒に東山銀行で四年ほど働いた仲。半世紀以上の付き合いだという。「エライのに威張らないところが偉い。五十年前と同じ付き合いしてますよ」と笑った。他のおエライみなさんにも見習って欲しいものだ。(深)