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■記者の眼■静岡に親伯知事誕生=日系社会への深い理解

ニッケイ新聞 2009年7月24日付け

 ブラジル日系社会からすれば、五日の静岡県知事選挙では、実に興味深い人物が選ばれた。
 川勝平太氏(60)は、静岡文化芸術大学の学長を辞して出馬し、前自民党参議院議員の坂本由紀子候補(60)を一騎打ちで初挑戦にして当選した。多くの県民は、民主・社民・国民新党推薦候補対自民・公明候補という目線で選挙を見ていただろう。
 この民主優勢の流れが東京都知事選に続き、解散総選挙へつながっているという意味で、川勝氏の勝利は、一つの政治的な分水嶺となった。
 川勝氏はたんなる経済学者でなく、かなりの日系社会理解者だ。九六年三月三十日号の『週刊ダイヤモンド』誌に「日系ブラジル人 植物で村おこし」というコラムを書いている。
 いわく「日系人が際立っているのは農民であったことだ。彼らは食い詰めて海外に新天地を求めたのだけではなかった」とし、「大正期には『新しき村』運動にみられるような、理想的な村建設への志向があったことが、ブラジル移民の背景にはある。日本人のなかには当初から新天地に理想の村を建設する志に燃えた農業移民が多い」とアリアンサ移住地を隠喩して、移住史を喝破する。
 日本人がもたらした野菜の数々を列挙し、「都市近郊型・集約型の蔬菜園芸農業はブラジルにはなかったものであり、新しい農業のかたちであった」と功績を並べ、それが総体的に意味することは、「日本人は故郷の農産物・植物から成る景観にそれ(祖国の生活景観の再現)を求めたのである」とする。
 川勝氏は生業としての農業だけでなく、その結果生まれたレジストロの茶畑の美観や、モジやスザノの蔬菜畑が広がる景観を、移民が心なごむ思いで見てきたことをちゃんと理解していた。
 そして「日系ブラジル人を、日本への出稼ぎ労働力として見る目を改め、彼らの百年の労苦の遺産に学ぶ姿勢をもちたい」と締め括っている。
 日伯修好百周年の翌年、九六年当時、これだけのこの着眼点をもっていた日本側有識者はそれほど多くなかっただろう。
 移民百周年の昨年、静岡文化芸術大学では池上重弘教授が研究代表となった写真展と関連プロジェクト「ブラジルの中の日本、日本の中のブラジル(写真で見る百年、過去から未来へ)」が、学長特別研究に承認され、大学レベルでの珍しい取り組みとして注目されたのは記憶に新しい。
 池上教授に先週問い合わせたところ次のような経緯があった。「〇八年二月二十八日、川勝前学長はそのヒアリングの折、ご自身のブラジル訪問時の経験を熱く語り、『一刻も早くブラジルに行き、その目でブラジル日系人コミュニティの様子を見てこい』と私に命じました。日系人の足跡を実際に見ることで、移民とその歩んだ道のりに敬意を払わずに、写真展はできない、との川勝前学長の思いを感じました」。
 このプロジェクトは「日本移民の歴史」「現在のブラジル日系社会」「在日ブラジル人」を並列的に扱う前進的なもので、日本のメディアでも大きく扱われ、最も優先的な課題といわれる在日日系子弟の教育を見すえて考えるものとして高い評価を受けている。
 同大学が位置する浜松市は約二万人ものブラジル人を抱える、日本最多のブラジル人集住市だ。多いだけでなく、ここ数年来マスコミを騒がせている国外犯処罰問題の大半が浜松やその周辺で起きている。住民とのあつれきも少なくない。そんな土地柄ゆえの、アカデミックな世界からの取り組みだ。
 また川勝氏は、浜松市内の経済人を中心に今年二月に設立した「日伯交流協会」の創立会長にも就任した。この協会は、百周年で盛り上がった友好親善気運をさらに進展させるよう、文化、教育、スポーツの交流を盛んにすることを目指している。
 そのような人物が、愛知に次ぐ第二のブラジル人集住県知事に選ばれた。政治家として経験のなさを批判する声などはあるが、コロニア的には「しかるべき時に、しかるべき場所に」選ばれたと歓迎してもいいだろう。
 県人一般からすれば、浜松市は大都市だが西のキワにあり、中心は静岡市という意識だろう。だが、変化は常に周辺部から起き中央に波及する。浜松から始まった共生の取り組みは、新知事と共に全県的なスケールに拡大され、全国からも注目されるものになることを期待したい。(深)