ニッケイ新聞 2009年7月24日付け
「明治の日本人を見たければ、ブラジルに行け」。この大宅壮一の有名な言葉が一人歩きしているような気がしていた。移住地で育った戦前二世にその香りを感じることもあるのだが、現在一世の多くは戦後移民だし、そもそも評論家が来伯したのは五〇年代だ。先日、この言葉をふと思い出した▼「浅学菲才の私がこの場に立てるのは身に余る光栄」―。背筋を伸ばし、常に丁寧な日本語で話す。本紙主催で二十日に行なったトメアスー第一回移民、山田元氏(82)による講演会での一コマだ。初めてとは思えない立て板に水の説明ぶり。講演を聞いた来場者にとって、その記憶力や話の内容もさることながら、話し口調やその真摯な態度から滲み出る人柄もまた印象的だったようだ▼アマゾン入植経験者が多くいるサンパウロだが、出身者の集いがあるのは寡聞にして知らない。今回トメアスーに入植した人が多く集まった。山田氏を笑顔で囲み、懐かしい思い出に花を咲かせていた。アマゾン関連の連載で社会面を汚している記者に参考資料を持ってきてくれる人もおり、恐縮した▼講演は日本語のみで行なったが、山田氏は最後に、そのことを流暢なポ語で詫び、質問も受け付けた。こういう気の遣い方をサンパウロのお偉方にも見習って欲しいところ。ともあれ、二歳の来伯であれだけの日本語能力は驚愕に値する。非常に達筆でもあり、明治人だった父親の教育の賜物だろう▼恥ずかしながら司会を務めさせてもらったのだが隣にいる終始、教えられること大であった。襟を正そうかと思い、ネクタイをしていないことに気付き、思わず首をすくめた。 (剛)