ニッケイ新聞 2009年8月1日付け
寂聴さんは文学者で若かりし頃はかなり艶っぽいものを発表し話題になったりもしたが、今は天台宗の尼僧とし布教に忙しい。最近、知ったのだけれども、日本の仏教史を繙くと、僧侶は男よりも女性の方が早く、人々に初めて釈迦の教えを説いたの記録が日本書紀にあるそうだ。この尼僧が善信尼であり、帰化人の禅蔵尼、恵善尼も弟子となって崇仏の心を強くしたと伝えられる▼この3尼僧が建立した西方院は大阪にあり法統は今も守られている。この尼寺はもう1500年かの歴史を誇り、墓地には開山3尼公が眠る墓もあり焼香が絶えないという。ある本によると、日本には6000名の尼僧がいて尼寺は約2000とされる。そういえば鎌倉の縁切り寺で知られる東慶寺(臨済宗)の開祖は北条時宗夫人の覚山尼であり、この人が女性からの離縁を認めてから明治まで続く▼豊臣秀頼の娘も家康に助命され第20世の天秀尼となり、妻からの三行半(みくだりはん)を助けている。ここには後醍醐天皇の皇女が用堂尼となり5世になったので松ヶ丘御所とも呼ばれ、蕪村には「愚痴無知の甘酒つくる松の岡」があり,群馬の円満寺と共に凄いばかりの「かけこみ寺」なのである▼あの東大寺を創建した聖武天皇夫人の光明皇后も熱烈な仏教信者で施薬院や悲田院を設置し福利事業に力を注いだのも,仏が悲願とする慈善の考えの影響が大きかったのではないか。明治の初め米欧の舞台でフアンを魅了した女優第1号の川上貞奴も岐阜・各務原に「貞照寺」を建立しているし、どうやら仏と女性の縁は近しいものらしい。(遯)